10話「理想郷の裏側」
その後、曜達はひなぎく達の"hina☆cafe"へと戻った。
店内には、甘いソースと香ばしい油の匂いが立ちこめ、カウンターの向こうから、ひなぎくと市之助が忙しそうに料理を運んでいる。
テーブルに並べられた温かな料理はどれも見た目からして食欲をそそり、ひと口食べれば、張り詰めていた心と体がほぐれていくのが分かる。
それでも、曜の頭の中は、目の前のご馳走より曲田でいっぱいだった。
いつ、どのタイミングで、あのコラボ配信やオールドヘブンでの会話をみんなに話すべきか――話した途端に、どんな反応が返ってくるのか。
そうして言い出せないまま時間だけが過ぎていった頃――"カラン"と軽やかなベルの音とともに店のドアが開いた。
入ってきたのは、先ほどまで単独行動をしていたカズキだ。
いつもの穏やかな笑みは影を潜め、どこか不機嫌そうな表情を浮かべている。
<三田三太郎>
「お、カズキ。どこ行ってたんだ?」
<青山カズキ>
「ちょっと知りたいことが色々あったから、調査をね。
それより曜くん、さっきの配信見たよ。…随分と頼りになるパートナーを得たみたいだね」
<彩葉ツキ>
「え、パートナー?」
<青山カズキ>
「ツキちゃん達は、見てないのかい?
さっき、曜くんの配信に曲田が出てたんだよ」
<三田三太郎>
「は! 曲田と!?
曜、なんで敵と一緒に配信してんだよ!」
<秋葉ひなぎく>
「そうだにゃ! 曲田は敵だお!」
驚きと戸惑い、そしてわずかな怒りが混ざった視線が、一斉に曜へと向けられる。
自分の言葉で切り出したかった――その願いは、もろくも崩れ去り、曜の胸の鼓動だけがやけに大きく響いた。
<黒中曜>
「ちょ、ちょっと、待ってくれ…!
オールドヘブンで曲田と話したけど、アイツ…結構、いいやつなんだよ…。だから、みんなも一回、曲田と――」
<青山カズキ>
「はあ…やれやれ。
何を言うかと思ったら、想像を悪い意味で超えてきたね」
<黒中曜>
「どういう意味だ…?」
<青山カズキ>
「それこそ、曲田の思う壺だってことさ。
何を言われたのか知らないけど、同情を買って敵を味方に出来るなら、最高の戦果だからね」
<黒中曜>
「違うんだ、カズキさん…!
俺が言いたいのは、もう二度と彗みたいな――」
カズキの言葉は淡々としていながら、曜に向けられた疑念と危機感がはっきりと滲んでいた。
まるで、曜の中に"曲田の毒"が入り込んでしまったかのような目で、じっとこちらを見据えている。
<青山カズキ>
「論より証拠。ちょうどいい。
僕が何を調べてたか、君にも見せてあげるよ」
カズキは曜の言葉をさえぎるようにそう告げると、席を立ち、曜の手首をぐっと掴んで無理やり立たせ、そのまま曜を連れて店の外へ向かう。
他のメンバーも、ふたりのただならぬ様子を見て、慌ててそのあとを追った。
夜風の吹き込む通りから細い路地へ足を踏み入れると、すぐ先の地面に、ひとりの男が崩れ落ちるように倒れているのが目に入る。
服はところどころ破れ、殴られたような痣がいくつも浮かんでいた。
ひなぎくと市之助が真っ先に駆け寄り、応急処置を始めると、男は、何度も頭を下げて路地の外へと去っていった。
曜達は、たまたま暴漢に襲われた人が倒れているだけなのだろう――最初はそう考えた。
だが、カズキは何も説明しないまま、さらに路地の奥へ進むよう促す。
その先でも、似たような怪我人が次々に見つかっていき、致命傷こそ負ってはいないものの、殴打の痕や擦り傷はどれも生々しく、ついさっきまで暴力が加えられていたことをはっきりと物語っていた。
<黒中曜>
「これは…いったい、どういうことなんだ…?」
ネオチヨダシティは、これまで訪れてきたシティとは違い、曜の目にはどこか穏やかで、平和に見えていた。
一ノ瀬や彗のように力で支配するのではなく、曲田が"相互理解"を掲げた理想郷として、住民達からも支持されている――少なくとも、そう信じていたからだ。
だが、目の前に広がる状況は、そのどれとも辻褄が合わない。どう足掻いても紛れもない現実だった。
さきほどカズキに強くつかまれた手首には、今も鈍い痛みがじんと残っており、その感覚から曜は目をそらせなかった。
<青山カズキ>
「曲田の統治だって完璧じゃない。
ストレスを感じた住民が、鳳家の残党を生身のサンドバッグにしているのが現状だ」
<彩葉ツキ>
「え? じゃあ、市之助さん達も…?」
<秋葉市之助>
「我々は隠密だったがゆえに、顔が割れていないでござる。
それゆえ、残党狩りの被害には遭っておらぬが…」
<秋葉ひなぎく>
「Q様、申し訳ありません…!
残党狩りをする者を見つけるたびに懲らしめてはいたのですが、やつらは増えるばかりで…」
<Q>
「お前達が謝ることじゃない…。すべて私の責任だ」
鳳家の元家臣の2人も、この異常な状況を止めようと懸命に動いてきた。
それでもなお流れを食い止めることはできず、その事実が、うなだれた横顔に重く影を落としている。
同胞が一方的に痛めつけられているというのに救い切れない――その無力さが、ふたりの胸に重くのしかかっていた。
<青山カズキ>
「これは、かなり大きな問題になっているんだけど、曲田は一切言及しないみたいでね。
そのせいで、どんどんエスカレートしてるっていう噂さ」
<黒中曜>
「………………」
曜は何も言えず、ただ息を呑む。
オールドヘブンで聞いた"犠牲を最小限に"という曲田の言葉と、今見せつけられている現実との落差が、胸の中で軋む。
<青山カズキ>
「他にも、曲田の信者に引き取られた孤児達が、曲田を軽視する言動をした途端、虐待をする里親も多いようでね。
それで家出をして、屋根もない場所で生活している子供もいるようだ」
カズキは路地に目を走らせ、先ほどまで見てきた怪我人達の顔ぶれや傷の様子を、ひとりひとり頭の中でなぞる。
そして、静かに息を吐いたあと、決意を固めたように曜の方へ向き直った。
<青山カズキ>
「改めて曜くんに聞くよ。
これでも君は、曲田のことを信用できるのかい?」
鋭いまなざしを真正面から浴びて、曜はゾクリと身震いした。
だが、対話を重ねる中で、敵であるはずの自分を心の底から案じていた曲田の姿も、確かに見てきた。
それゆえ、ここで安易に同意してしまうわけにはいかなかった。
<黒中曜>
「俺達はまだ曲田の言い分を聞いてない。
話はそれからでも…」
<青山カズキ>
「はあ…曜くんも強情だね。
せっかくだから、ハッキリさせようじゃないか。君がその調子じゃ、トラッシュトライブが分解しかねない。
君はあくまでも曲田と協力したいと、そう言うんだね?」
<黒中曜>
「ああ。俺は…そうすべきだと感じてる。
戦うことだけがすべてじゃないからな」
<青山カズキ>
「…わかったよ。そう思うなら勝手にすればいいさ。
悪いけど、僕達は付き合いきれない」
短く言い切ると、視線をそらし、カズキは曜とのあいだにわずかな距離を置いた。
その一歩ぶんの後退が、同じ場所にはもう立てないという意思表示のように感じられ、周囲の空気が冷たく沈む。
<黒中曜>
「じゃあ、もう俺がここにいる理由もなくなったな…」
しばしの沈黙のあと、曜はかすれた声でそう告げると、踵を返した。
踏み出した一歩がやけに重たく感じられ、胸の奥が軋む。それでも、足を止めることはできなかった。
<彩葉ツキ>
「ま、待ってよ、曜!
とにかく、いったん落ち着いて…」
慌てて駆け出したツキは、伸ばした手の指先がもう少しで服に触れそうになった、その瞬間――
<黒中曜>
「…ごめん」
短くそう呟くと、曜は振り向きもせずにツキの手を振り払い、そのまま闇の中へと歩き去っていった。
その背中を見失うまいともう一歩踏み出しかけたところで、後ろからひなぎくがツキの肩をぎゅっとつかむ。
<秋葉ひなぎく>
「ツキちゃん…ダメだお…!」
<彩葉ツキ>
「ひなちゃん! なんで止めるの!
今すぐ、曜を追いかけなきゃ!」
<青山カズキ>
「ダメだよ、今追いかけるのは勧められない」
<彩葉ツキ>
「どうして!?」
怒りと戸惑いが入り混じった視線が、曜を追い出した張本人のように見えるカズキへと向けられる。
<Q>
「…黒中はまだ迷っているように見えた。
きっと、あいつは自分が背負う責任を果たそうともがいている。今…その道の途中にいるのだろう」
<青山カズキ>
「うん、曜くんはしばらくひとりにさせた方がいいと思う。
冷静になる時間は必要だよ」
落ち着いた声音が夜気の中に溶けていくにつれ、ツキの胸を満たしていた怒りの熱は次第に冷めていった。
さきほどの厳しい物言いも、曜のことを思ってあえて突き放したのだと、ようやく頭と心が結びつき始める。
<彩葉ツキ>
「え…カズキさん、ひょっとしてわざと曜を行かせたの…?」
<青山カズキ>
「ああなったら、強引に説得するよりも自分で考える時間を与えてあげたほうがいいからね」
<彩葉ツキ>
「なんだ…そうだったんだ…」
胸元にそっと手を当て、ツキは小さく息を吐いた。
カズキが本気で曜をトラッシュトライブから追い出そうとしたわけではないと分かり、心の底から安堵した。
<青山カズキ>
「面倒だけど、しばらくしたら、迎えにいってあげるのがいいんじゃない?
その頃には、きっと頭が冷えてるはずさ」
<彩葉ツキ>
「うん!」
ツキは強くうなずき、曜の歩いていった方角をじっと見つめる。
冷たい夜風の中で、その背中がちゃんと戻ってくることを、心の底から願いながら。