1章「労働環境があぶない。」
シナガワシティ
1話「3人の約束」
気づけば、黒中曜は見知らぬ場所にいた。
周りを見渡しても何も存在せず、ただただ白い空間が広がっている。
違和感はあったが、それよりも頭がぼんやりして動けなかった。
ここに留まってはいけないと本能でわかっていながらも、強い眠気に襲われ、瞼を閉じかける。
<???>
「――曜。曜ってば」
<???>
「早くこっち来いって。オメーが来ねぇと始まんねーだろ」
この声は――
聞き覚えのある声に反応して、ハッと顔を上げた。
<黒中曜>
「あれ…なんで、ふたりとも…」
目の前に立っていたのは、幼馴染みのツキと彗だった。
その姿を見て一瞬、嬉しさに胸が高鳴った。
しかし、それもつかの間、激しい違和感が全身を襲い、体が固まる。
なぜ、自分はこんなにも違和感を覚えるのだろう…?
曜はその正体を探ろうとした。
<八雲彗>
「はあ…やっと反応したのかよ…」
<彩葉ツキ>
「お願いだから、もうちょっと早く反応してよ。私達、ずっと曜のこと、待ってたんだよ」
どうやら、気づかぬうちに何度も声をかけてくれたようだ。
曜の抱える激しい違和感には気づかず、ツキと彗はただ呆れ顔で彼を見つめていた。
<黒中曜>
「ごめん…。なんか、頭がうまく回らなくて…」
<八雲彗>
「そういうボケボケキャラは、ツキひとりで十分だっつーの。
ほら、オメーも早く来いよ。いつもの"アレ"やんぞ」
<黒中曜>
「…いつものアレ? なんのことだ?」
<彩葉ツキ>
「えー!? 曜ってば、恒例のアレ忘れちゃったの!?」
大きな誓いは、定期的に"誓いの印"をして、ぜーったい叶えようねって言ったのにー!」
ああ、アレというのは「誓いの印」のことか。
最初からそう言ってくれればわかったのに…と内心で苦笑し、理解が及ばなかったのは自分だと片付ける。
<八雲彗>
「はあ…ほんと、今日のオメーはボケボケだな。
まっ、その内思い出すだろうから焦んなって。焦ってもいいことなんてひとつもねぇーからな」
<彩葉ツキ>
「それもそうね! だって、何百回も誓ったんだもん!」
曜がなにもかも忘れたとしても、この誓いだけは魂が覚えてるはずだよ!」
<黒中曜>
「魂が…覚えている…?」
胸のざわつきを感じて、曜は思わず呟く。
<八雲彗>
「ああ。じゃなかったらあんなところでオレ達の誓いを口走らねーだろうが」
彗は曜の肩に手を置き、軽く叩きながら言った。
その動作には、兄貴分としての包容力と頼もしさが滲んでいる。
<八雲彗>
「魂に耳を傾けろ。そしたら、自然に思い出すはずだ」
よし、ツキ。拳を出せ。曜が思い出すまで、待つぞ」
<彩葉ツキ>
「うん! 曜も思い出したら、拳を出してね!」
彗が拳を突き出すと、慣れた手つきでツキも拳を合わせた。
曜は、誓いの内容を思い出そうとするが、かえって頭のモヤは濃くなる一方で微塵も晴れる気配はない。
それでも、2人の作った誓いの形を見ていると、自分の心臓が早く鼓動するのを感じた。
――本当に魂が覚えているというのだろうか…?
唇は曜の意志とは関係なく、まるで誰かに操られているかのように、勝手に動き始めた。
<黒中曜>
「――最強のXBプレーヤーになろう。3人で…誰にも負けないくらい最強の…
これが俺の…いや、ツキと彗と一緒に叶えたい願い…」
口にした瞬間、懐かしさがこみあげてくる。きっと何度も口にしていたのだろう。
唇は滑らかに動き、これしかないという自信に心が満ちていった。
しかし次の瞬間、世界が裏返るように闇に呑み込まれる。
足元から這い上がる冷たい恐怖に、曜の体は小刻みに震えた。
<???>
「…素敵な夢だね。だけど、その夢は永遠に叶いやしない」
<黒中曜>
「…え」
後ろから聞こえたのは、甘く軽やかな男の声――
曜は反射的に振り返る。
そこに立っていたのは、ネオトーキョーを混沌に沈めた仮面の男「ゼロ」だった。
――なぜ、ここにゼロが…?
――なぜ、俺達の願いを否定する…?
恐怖が全身を縛りつける。それでも、願いを否定された悔しさが胸にぐっと込み上げた。
だが体は沼に沈んだかのように重く、指先ひとつ動かすこともできない。
ゼロは静かに間合いを詰め、抵抗できぬ曜の頬を指先でなぞった。
<ゼロ>
「意外と薄情者だね…
大事な"オトモダチ"が殺されたのをもう忘れてしまったのかい?」
<黒中曜>
「嘘だ…。だって、ふたりはそこに…」
ゼロの言葉を即座に否定する。
だが胸の奥で、わずかに揺れるものがあった。
近くにいるツキと彗が一緒に否定していることを願うも、いつまで経っても2人の声は聞こえない。
――なぜなんだ…?
怒りっぽい彗なら、こんな挑発に黙っているはずがない。
ツキだって、間違ったことを言われたら真っ先に言い返す。
なのに、なぜ反応がない…?
<ゼロ>
「嘘じゃないさ。曜が忘れたとしても何度だって俺が思い出させてあげるよ。
ほら、鮮明に思い出すんだ…。ふたりの命の灯火が消えたその瞬間を――」
ゼロが耳元で指をパチンと鳴らすと、曜の頭に電流が走った。
自分のために危険を顧みずに24シティまで迎えに来てくれた2人。
あともう少しで地上へ脱出できるところで、ゼロに見つかり、スペースツカイスリーのレーザーが彗とツキの体を貫いた。
溢れる大量の血――
約束を守ることができなかったと謝罪するツキの表情――
あれは現実だった。目の前で起きた現実だ。
体の激しい拒否反応が、それを物語っている。
<黒中曜>
「ああああああああああああッ!!! や、やめろおおおお…!」
受け入れがたい現実に、発狂した。頭を掻きむしり、声を荒げる。
叫びに呼応するように、闇が曜を包み込み、視界はじりじりと暗闇へ沈んでいった。
このままでは、自分も闇の一部になってしまうだろう。
――だけど、それでいい。
このまま死ねば、これ以上悲しまなくてすむ。
曜は、そう思った。
しかし、ゼロはそれを許さなかった。
闇に呑まれかけた曜の手を強く掴み、無理やり闇から引き剥がす。
なぜ、ゼロがそんなことをしたのかはわからない。
けれど、そこで曜の意識はぷつりと切れた。