16話「情報交換」
ビジネス街の風はひんやりとして、硝子の壁面にネオンの色が薄く揺れている。
やがて、少し古びたオフィスビルの前に着く。
磨かれてはいるが、エントランスの金属枠には年季が滲んでいた。
大井の先導でエレベーターに乗り、無機質な到着音とともに扉が開いた。
フロアのプレートには「G&Oカンパニー」
内部は外観とは対照的に新しく、引っ越したばかり独自の埃の匂いがした。
<五反田豊>
「ご足労いただきありがとうございます。私、G&Oカンパニー代表の五反田と申します」
フロアに足を踏み入れた途端、曜達は柔らかな声に迎えられた。
声の主は、ワックスで髪の毛をかため、四角いフレームの眼鏡を掛けた男――五反田と名乗った。
スーツはシンプルながらも仕立てがよく、姿勢は堂々としている。
一目でわかる、社長の風格を備えた男だった。
<黒中曜>
「はじめまして、俺達は――」
<五反田豊>
「黒中曜さん、彩葉ツキさん、千羽つる子さん、Qさん、それに…千住百一太郎さん、轟英二さんですね?」
五反田の口からひとりひとりの名前が出た瞬間、空気がわずかにざわついた。
初対面で名を言い当てられ、曜達は目を見交わす。
<彩葉ツキ>
「え!? どうして私達の名前を知ってるの? どこかで会ったことあったけ?」
<轟英二>
「僕の名前は世界に轟いているから、知っていても当然だが、その他モブまで把握してるとは…」
<五反田豊>
「ははっ、大したことではありませんよ。大井から皆さんが自己紹介なさっているところの動画を共有されていたのでね」
<Q>
「…なるほど、スマートグラスは録画するだけでなく、動画ファイルの送信もできるのか」
<千住百一太郎>
「すっげー! マジすっげー! なんでも出来るじゃねぇか!」
<五反田豊>
「ふふ、お褒めの言葉ありがとうございます。発売された折にはぜひご購入を」
<黒中曜>
「でも、よくこの短期間で覚えられたな…。俺もたまに間違えそうになるのに…」
<大井南>
「わかります…私も気を抜くと間違えそうで…」
曜は、だいぶ慣れてきたが、先ほど出会ったばかりの大井は、ときどき誰がどの名前なのか困惑することがあった。
<五反田豊>
「それくらい造作もありませんよ。私の特技、"フラッシュ顔覚え"があればね」
五反田は眼鏡をくいっと持ち上げ、わずかに口角を上げてる。
<黒中曜>
「フラッシュ顔覚え…? 初めて聞くな」
<千羽つる子>
「はっ! これは説明の好機! 私にお任せあれ!!」
つる子は「待ってました」とばかりに一歩前へ出て、瞳をきらりと光らせた。
曜達が「どうぞ、どうぞ」と手で促すと、えっへんと小さく咳払いを入れて、説明を始めた。
<千羽つる子>
「フラッシュ顔覚えとは…瞬時に顔と名前を完璧に記憶することです!
以前、目を通したビジネス誌のインタビューで五反田さんがそう答えていたのを記憶しております!」
<五反田豊>
「あれを読んでくれたのですか。ありがとうございます」
<千羽つる子>
「いえいえ、"元シナガワトライブのリーダー"でもあるお方の記事ですから、とても興味深く拝読いたしました」
<五反田豊>
「ハハッ。その肩書も懐かしいですね。
ささっ、皆さん。立ち話もなんですし。どうぞそちらのソファーにお座りください。
喉も乾いたことでしょう、すぐにコーヒーでもご用意しましょう」
曜達は勧められるまま、革張りのソファに腰を下ろした。
歩き詰めの足から、張りがゆっくり抜けていく。
しばしの間。カップの触れ合う小さな音、湯気に混じる焙煎の香りが室内に満ちた。
大井は盆を手に、順番にカップを配っていく。
香ばしい香りとともに湯気が立ちのぼり、手渡されるたびに緊張が少しずつ解けていった。
最後に残ったカップを差し出しながら、彼女は言った。
<大井南>
「ええと、砂糖とミルク多めは千羽鶴さんと、千田さんですね。はい、どうぞ」
<千住百一太郎>
「千田じゃねえよ、俺は千住だ!」
<千羽つる子>
「私も千羽鶴ではなく、千羽つる子なのですが…」
<大井南>
「ああっ! 申し訳ございません! 五反田さんと違ってまだ名前と顔が一致していなくて…」
<五反田豊>
「千羽さん、百一太郎さん。私の部下が失礼いたしました。ですが、部下のミスは上司の責任…責めるなら私を」
五反田は慣れた所作で頭を下げた。
その真摯さに、百一太郎とつる子の表情から刺々しさがほどけ、こちらの方が気まずさを覚える。
<千住百一太郎>
「い、いや、別にそんな気にしてねえよ…」
<千羽つる子>
「わ、私もです。よく間違えられますしね」
<五反田豊>
「ありがとうございます。それでは、そろそろお話に入りたいと思うのですがいかがでしょう?」
<Q>
「その前に認識を合わせてはどうだ? こちらの事情も伝えておきたい」
<五反田豊>
「ほう、素晴らしい提案ですね。
では、トラッシュの皆さんがなぜシナガワに来たのかを教えていただけますか?
青山さんにも伺ったのですが、詳細を聞く前に連絡が途切れてしまいまして…」
<黒中曜>
「わかった。俺達は――」
曜達…トラッシュトライブは、ゼロとのXBに敗北し、統治ルール上でナンバーズと競うXGへの参加を強いられた経緯を語った。
そして、カズキ達がゼロによって他シティへ飛ばされたことも話すと、室内の空気は、湯気の温度とは裏腹に少しずつ冷えていった。
<五反田豊>
「…なるほど。なかなか大変な目に遭ったんですね」
<黒中曜>
「次はそっちのことを教えてくれないか?
大井さんからシナガワトライブのことは聞いたが、それ以外のことはまだ聞けてないからな」
<五反田豊>
「わかりました。とはいえ、こちらの現状は簡単に言うと最悪です」
五反田は奥のデスクに腰かけ、自然に大井が隣へ寄った。表情が引き締まる。
<五反田豊>
「まず、"会長は一ノ瀬に操られている"に等しい…。とんだ傀儡会社があったものですよ。
名目上は会長がクビキリ対象者を選ぶことになっていますが、もはや一ノ瀬が行っています」
<黒中曜>
「ああ、俺達もそれは見た…」
<五反田豊>
「そのせいで、ヤツに逆らおうとする人間なんてこの街にはほとんどいません…
酷い者は、機嫌取りのために一ノ瀬へワイロを差し出す始末…。会長の一ノ瀬への好感度はうなぎ登りで、とどまるところを知りません」
<Q>
「聞けば聞くほど絶望的だな…」
<千羽つる子>
「あ、諦めてはいけません。点滴穿石(てんてきせんせき)とも言うではありませんか! 不可能だと匙を投げてしまったら、何事も為せぬままですわ!」
<黒中曜>
「つる子の言いたいことはわかるけど…それにしても分が悪すぎる…。いったい、どうすればいいんだ…?」
<五反田豊>
「さて、ここからが本題です」
場に少し諦めムードが漂い始めたそのとき、五反田の口元から笑みが消え、雰囲気が一変した。
彼はデスクに両肘をつき、指先を口元に寄せて静かに視線を落とす。
<五反田豊>
「私は一ノ瀬を社長の座から引きずり降ろそうと思っています。そのために皆さんには協力をお願いしたい」
その一言に室内がざわつく。