25話「XB~VS一ノ瀬~①」
深夜1時、シナガワ駅前広場――
曜達は、石畳の上で肌寒い夜風に吹かれながら、ウォーミングアップをしていた。
駅前に広がるこの場所は、本来なら多くのビジネスパーソンが行き交うはずの場所だ。
だが、統治ルールの施行で各シティ間の行き来は途絶え、鉄道も止まり、広場は今や静寂に包まれている。
曜はバットを両手に、目を閉じる。
――シナガワシティを一ノ瀬の支配から救えたはずだった。支配人さんの仇も取れたはずだった。
――なのに、ゼロは勝利を覆し、XBでの再戦を一方的に告げた。
まだ頭は追いつかない。
クビキリされたはずの一ノ瀬が生きていたことも、ゼロの理不尽な思いつきも。
怒りと焦燥が胸を焼く――それでも。
心の底で、別の熱が灯る。怒りでも苛立ちでもない、もっと鋭いもの――それは昂ぶりだ。
握りしめた手に力がこもり、鼓動が速まる。まるでこの瞬間を待っていたかのように。
――また「XB」ができる。
負ければ統治ルールが復活し、クビキリも戻る。後のない勝負だ。
足の奥から、ぞくりと熱がせり上がる。興奮か、圧か――もう判別はつかない。
けれど、確かなことはただひとつ。
XBで、一ノ瀬を倒す――ということだ。
<一ノ瀬一馬>
「やはり、私が負けたのは貴様のせいか!
許さん! 許さんぞ! 貴様の事は、一生許さんぞ!」
<小柄な24トライブ>
「も、申し訳ありません…! 全ては、私の責任です…!」
<黒中曜>
「――ん? なんだ?」
一ノ瀬サイドから聞こえる怒号で、曜は目を開けた。
かつて怒りに怯えて逃げた多くの部下達も、XB再戦の決定で呼び戻されていた。
そのうちのひとりだろうか…? 一ノ瀬が激しく叱りつけている。
震える構成員を案じて、曜達は一ノ瀬のほうへ向かう。
<Q>
「おい、何があった…」
<一ノ瀬一馬>
「何かあったのかじゃない!
先程からコイツの挙動がおかしいと思って、問い詰めたら白状しやがったんだ!」
<小柄な24トライブ>
「黒中からカステラを受け取ったときに、重さに違和感がありましたが報告を怠りました…
私の…私のせいです…っ。一ノ瀬様が負けたのは、私のせいです…っ!」
<一ノ瀬一馬>
「ずっとおかしいと思っていたんだ! 完璧な存在である私が凡人どもに負けるわけがない!
私は、使えない部下のせいで敗北したのだ!」
一ノ瀬は指を突きつけ、構成員に怒声を浴びせ続けた。
――本当にそう言い切れるのか。
おそらく、先ほどの会話からして、この構成員はカステラの重さに違和感を覚え、報告するかどうか迷っていた人物だ。
あのとき、曜は胸を激しく鳴らしながら、彼女が一ノ瀬に報告するのかをひやひやしていた。
だけど、彼女はしなかった。いや、できなかった。
その理由は、これまでの一ノ瀬と部下のやり取りを見ていれば明らかだ。
それでもなお、一ノ瀬には理解できないのか。
曜は、呆れとも哀れみともつかない眼差しで一ノ瀬を見つめた。
<一ノ瀬一馬>
「なんだ、その目は…
もしや、そこの白黒頭は、私が原因で負けたと言いたいのか?」
一ノ瀬が曜に詰め寄ろうとしたところで、五反田が腕を差し出して前に出て、静かに立ちはだかった。
<五反田豊>
「いいえ、黒中さんだけではありません。
少なくとも、我がチームは、全員…一ノ瀬。貴方に非があると思っているはずです。
まあ…ちょうどいいでしょう。本当に一ノ瀬がXGに負けた原因は、部下にあるのか…ここでハッキリとさせましょう」
<ゼロ>
「おっ、そろそろゲームが始まる感じ? ピッチャーは誰がやるの?」
<五反田豊>
「私が行きます」
<ゼロ>
「おっけ~! じゃあ、XBボールを受け取って!」
ゼロが、ふんわりとXBボールを投げると、五反田はそれを片手で軽く受け止め、静かに見つめた。
――XBボール。
それは、各シティに冠するトライブのリーダーだけが所持を許された特別なボール。
ネオトーキョーでXBができなくなったのは、統治ルールだけが理由ではない。
もう一つの鍵は、このボールの不在だ。
XBボールには、スペースツカイスリーへ信号を送る装置としての機能がある。
中央にある“目”のような部分を押すと、信号が送信され、受信したスペースツカイスリーがシティ全体をXBフィールドへと変える仕組みだ。
しかし、そのボールは統治ルール施行前――ゼロの襲撃を境にシナガワシティから姿を消したと、曜は五反田達から聞いていた。
<五反田豊>
「どこを探しても見つからないと思ったら、ゼロが持っていたんですね…行くぞ、大井」
<大井南>
「はい、五反田さん」
そして、顔を上げた五反田は、キャッチャーの大井に目配せする。
XBボールのスイッチを押すと、すぐにシナガワシティ全体が光に包まれ、XBフィールドへと変わっていく。
「ウウーーー!」
ゲーム開始を告げるブザーが鳴り響き、XBは開幕する。
1回表――
先行、一ノ瀬とその部下達。守備、トラッシュトライブ。
曜達はそれぞれ守備の位置に散り、軽く肩を回す。
頭上にはホログラムモニターが浮かび、センターカメラの映像が映し出している。
チーム全員が静かに構えを整える。
一ノ瀬が1番打者としてバッターボックスに立つ。
五反田と視線を交わし、空気が一瞬だけ張り詰める。
<五反田豊>
「貴方は、ビジネスを知らないようですね。
部下の失態は上司の責任ですよ?」
<一ノ瀬一馬>
「はっ! 何を知ったふうに!
貴様なんぞに上に立つ者の苦労がわかるものか!」
<五反田豊>
「ふぅ…私も社長なのですが、本当に聞く耳を持っていませんね。
とにかく…貴方に部下の失敗を責められる資格はありません!」
言い終えるや、五反田は右腕のガントレット型ギア「ミストルテインΔ」を構え、掌からレーザーを放つように、ボールを放つ。
稲妻みたいな伸び――打者の懐へ一線で突き刺さる剛速球だ。
さすが、元シナガワトライブのリーダー。その実力は確かだった。
<一ノ瀬一馬>
「はっ、私を否定しようと必死だな。なりふり構わない姿は醜いぞ!」
<五反田豊>
「――なっ!?」
「カキーン!」
そのボールを、一ノ瀬は正面から打ち返した。
打球音が響き、ボールはまっすぐ伸びて内野の間を抜ける。
<一ノ瀬一馬>
「ハハハハハッ! どうだ!
これがナンバーズ1、一ノ瀬一馬の実力だ!」
一ノ瀬はバットを放り、笑いながら走り出す。
フィールドの奥でボールが弾み、処理にもたつくあいだに一ノ瀬は塁を駆け抜け、本塁を踏む。
本塁のセンサーが光り、スコアが加算される。思わず曜達が息をのんだ。
<黒中曜>
「嘘だろ…」
<一ノ瀬一馬>
「ふっ、思ったよりもXBというものは簡単だな」
どよめきが遅れて広がる。
XB初心者の一ノ瀬が、あの剛速球を打ち返す――想定していなかった。
<五反田豊>
「申し訳ありません…私のせいで先制点を許してしまいました」
<Q>
「…いや、あれは仕方ない。
あの男、思ったよりもやるようだな…」
ホログラム越しに謝罪の言葉を並べる五反田に、Qがすかさず言葉を添え、場の空気を整える。
一ノ瀬は、自分が「ナンバーズ1」であることを誇らしげに口にするのが常だ。
もし「1」という数字が強さの序列を示すのなら――曜達は、今まさにとんでもない怪物を相手取っているのだと直感する。
その後も、曜達の驚きは止まらない。
勝利に飢えた一ノ瀬は、大勢の部下から腕利きのXBプレーヤーだけを厳選し、先発メンバーとして送り出していた。
目論見は的中。1回表は、2-0で幕を閉じる。
少し焦りを見せる仲間もいるが、戦いは始まったばかり。
攻守逆転。トラッシュトライブが攻撃に入る。
曜がピッチャーボックスに入ると、対面に一ノ瀬が立った。
<一ノ瀬一馬>
「ほう、お前か。白黒頭」
<黒中曜>
「お前、ピッチャーしたことあるのか?」
<一ノ瀬一馬>
「子供の頃にキャッチボールをしたくらいだな」
<黒中曜>
「そんなんで、よくピッチャーをしようと思ったな。
他のやつにやらせたほうがマシなんじゃないか?」
<一ノ瀬一馬>
「ゴミ溜めトライブに、ナンバーズ1の恐ろしさを見せつけようと思って、わざわざ労力を割いたのだよ。
オイ、貴様ら!」
<部下達>
「「「「「はっ!」」」」」
号令一下、部下達が一斉に走り出し、最下段が四つんばいで横一線に広がる。
その背へ2段目が四つんばいで乗り、続いて3段目、4段目、5段目…と、背中から背中へと這い上がっていく。
肩甲骨と肩が噛み合い、背筋の梁が重なって、正三角形の骨格がみるみると立ち上がった。
<黒中曜>
「な、なんだ…!?」
<彩葉ツキ>
「ピ、ピラミッド…!?」
<Q>
「…あっちは、頭がおかしくなったのか?」
突然のことに、トラッシュトライブ側は誰も状況を飲み込めない。
一ノ瀬は、完成した10段の四つんばいピラミッドを階段のように蹴り上がり、背中から背中へと軽やかに駆け上がる。
<一ノ瀬一馬>
「私こそがナンバーズ1、一ノ瀬一馬だー!」
頂に躍り出た一ノ瀬は、両腕で大きく「1」を象るように構え、身体を軸にくるくると回り、球を放つ。
初速が風を裂き、白い線のまま打席へ突き刺さった。
曜はあまりの速さに、バットを振ることすらできなかった。
<黒中曜>
「――ッ!」
――嘘だろ。なんで初心者があんな球を投げれるんだ。
ベンチにいる仲間達も同じ反応だった。
攻守ともに、一ノ瀬はまるでどこかのトライブのエース級だ。その動きに、彼らも驚きを隠せない。
そのまま、トラッシュトライブは打線がつながらず、曜に続く2人も沈黙した。
出塁できないまま、1回裏は終わった。
<一ノ瀬一馬>
「ハハハハハッ! チョロいものだな!
待っていろよ! 統治ルールが復活した暁には、貴様ら全員クビキリだ!!!」
トラッシュトライブのベンチへ向けて、一ノ瀬は両手の人差し指を突き立て、挑発する。
<千住百一太郎>
「んだ~~~! アイツ、マジむかつく!!!」
<彩葉ツキ>
「悔しい悔しい悔しい!
一ノ瀬に、ぐぬぬって言わせるはずだったのに、なんでアイツ普通に強いの!」
その気持ちは、曜も同じだった。
XBを舐めている一ノ瀬にお灸を据えるつもりが、目論見は外れ、逆にこちらが驚かされている。