4話「シナガワプリンセスホテル」
部屋を出て、ふかふかの絨毯が敷かれた廊下を歩く。
先導するツキについていくままエレベーターに乗ると、これもまた特別仕様で驚愕した。
セキュリティの関係でカードキーをかざさないと階が選べず、しかも自分の宿泊階と限られた公共階層にしか止まらない仕組みらしい。
部屋の雰囲気から高級ホテルだとは思っていたが、想像以上だ。
だが、自分を驚かせるものはそれだけではなかった。
エレベーターの扉が開くと、広々としたエントランスロビーが視界を満たした。
足元には光沢のある大理石が敷き詰められ、ところどころに彫刻や現代美術の展示が置かれている。
曜は圧倒され、目をぱちぱちさせながら辺りを見回す。
<黒中曜>
「すごい…まるで美術館みたいだ」
<彩葉ツキ>
「ふふ! すごいでしょ!
なにせ、シナプリはネオトーキョーのおえらいさん達御用達の最高級ホテルだからね!
ホテルの顔であるエントランスロビーに、もっとも力を入れているってわけ!」
<黒中曜>
「ああ…本当にすごいな…」
普段ならツキのどや顔にツッコミを入れているはずだが、今回は圧倒されて口が出ず、ただ小さくうなずいた。
その直後、とあることに気づいて体が小さく震えた。
<黒中曜>
「でも、俺…こんな高そうなところの宿泊費とか払えないぞ…
カズキさんに頭を下げて借りるか…? いや、あの人の性格的に一度金を借りたら永遠にネタにされるよな…。
轟さんも性格に難ありそうだし…うーん、誰に頼むべきか…」
自分はさっきまで、10階の一室のベッドで寝ていた。
宿泊している以上、当然宿泊費は払うべきだと考えている。
しかし、手持ちはスマホの残高だけで、とても宿泊費をまかなえる額ではなかった。
どうやってお金を工面するか思案していると、そばにいた女性がヒールをコツコツ鳴らしながら声をかけてきた。
<???>
「どうぞご安心ください。当ホテルは現在、ゼロの侵攻の影響でお困りの方々に対し、客室を無償でご提供しております。
料金のご心配はなさらず、ごゆっくりお休みくださいませ」
中背で黒のパンツスーツを端正に着こなした女性は、落ち着いた口調で説明を終えると、軽く一礼した。
その所作はあまりに洗練されていて、呆気にとられた。
<黒中曜>
「えっと…あなたは…」
<支配人>
「申し遅れました。私は、当ホテル…シナガワプリンセスホテルの支配人です。
ふふっ、よかったです。曜さんも歩けるほどに回復したんですね」
<彩葉ツキ>
「曜、ほんっとこの人には感謝しなきゃだよ。
宿泊費のこともそうだけど、倒れている私達を見つけて、ここまで運んで手当てまでしてくれた命の恩人なんだから!」
<黒中曜>
「それで、俺はここにいたのか…」
やっと高級ホテルにいた理由が合点がいった曜は、こみ上げる感謝を込めて深々と頭を下げた。
<黒中曜>
「手当てしてくれて、ありがとうございます。本当に助かりました」
<支配人>
「人として当然のことをしたまでです。あまり気になさらないでください。」
支配人は軽く首を振り、控えめにほほえむ。
曜はその表情にほっとし、ゆっくりと頭を上げて視線を戻すと、支配人がポケットに手を入れながら言った。
<支配人>
「先ほど、お客様のお子さんからこちらを戴いたのでよろしければどうぞ」
差し出されたのは、両端がくるくると閉じられた可愛いキャンディ。
<彩葉ツキ>
「あっ、キャンディだ!」
<黒中曜>
「いいんですか?もらっても」
<支配人>
「もちろんです。さあ、どうぞ」
支配人に勧められ、2人は手のひらに置かれたキャンディを受け取る。
<彩葉ツキ>
「ありがとうございます! お言葉に甘えて、いっただきまーす!」
じっとキャンディを眺める曜をよそに、ツキはさっさと包みを剥がし、ぽんと中身を口に含んだ。
<彩葉ツキ>
「ん~、おいちぃ♪」
<黒中曜>
「食べるの早いな…」
<彩葉ツキ>
「甘い物には目がないんだもん♪
曜は、食べないの? 私が食べてあげようか?」
きらきらと目を輝かせながら、曜の持つキャンディを物欲しげにツキは見つめる。
<黒中曜>
「あとで食べるから…」
と、曜はターゲットにされているキャンディをそそくさにポケットに仕舞うがツキの催促は続く。
<彩葉ツキ>
「えー、どうせポケットに入れたまま、忘れるんじゃないの?
ほーらー、早くちょうだいよ~」
曜の腕を揺らしながら、おねだりするツキにさすがの曜もむっとして、
<黒中曜>
「しつこいぞ…」
思わず辛辣な言葉を吐く。
<支配人>
「ふふっ。おふたりは仲がいいですね。どうぞ、引き続きゆっくりしてくださいね」
<黒中曜>
「あ、はい。ありがとうございます」
2人のやり取りを微笑ましく見ていた支配人は腕時計を見て、そろそろ仕事に戻るべきだと判断したようだ。
軽く一礼すると、その場を離れていった。
支配人を見送ったあと、曜はカズキに連絡するが、まだ時間がかかるらしいとのことだった。
エントランスロビーで向かい合った革張りのソファを見つけ、2人はカズキが来るまで腰をおろして待つことにした。