19話「贖罪」
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重い足を一生懸命動かして、王次郎がたどり着いたのは――オールドヘブン。
薄暗い霧が立ちこめるその空間で、王次郎はふらつく足を踏ん張りながら、ただ一点をじっと見つめていた。
<ゼロ>
「キミも本当によくやるね。曲田くんとの勝負は、じきにつく。
あとは、放っておけばいいのにさ」
どこからともなく、甘く軽やかな声が聞こえてきて、振り向くと仮面の男"ゼロ"の姿があった。
<鳳王次郎>
「そんな悠長に待っている暇などない…
今すぐ…あれを止めなければならない…」
王次郎の視線の先をなぞるように、ゼロもゆっくりと顔を向ける。
霧がさあっと晴れ、その向こう側に――
起動を停止していたはずのU-DXロボが、重々しい動作音を響かせながら、ゆっくりと稼働を始めようとしていた。
<ゼロ>
「ふうん…なるほどね…曲田くんもただでは負けないみたいだ。
あれで大暴れして、住民達を再度従わせようと計画してるのか」
<鳳王次郎>
「言葉による支配が不可能なら、暴力による統治に切り替える…傲慢な支配者がやりそうなことだ。
私は、断じてそんなものを認めはしない」
<ゼロ>
「ハハッ! キミがそれを言うなんて、面白いね!
ボクには理解できないなあ…曲田くんの正体が明るみに出ても、キミのことを憎んでる人間はまだまだいるんだよ?
そんなやつらのことを、キミが救うって言うの? 子供に"毒"を仕込まれたことを隠してまで?」
<鳳王次郎>
「………………」
ゼロは、その事実をわざと抉るように口にし、王次郎を愉快そうに煽る。
XBが始まる前、少年に体当たりされた際に走った棘のような痛み――あれが毒だったのだろう。
最初はほんの軽い違和感に過ぎなかったが、今では立っているだけでも足元が揺らぎ、意識が遠のきそうなほどだった。
<ゼロ>
「そろそろ、解毒しないと本当に死ぬよ?
あとは放っておけばいいのにさ」
<鳳王次郎>
「わかっている…だが、時間がない…」
王次郎は、胸の奥からせり上がる息苦しさを押し殺すように、ゆっくりと呼吸を整える。
握りしめた拳には力が入らず、指先はじんと痺れていた。
<ゼロ>
「自己犠牲ってやつ? 実に人間らしい不合理な考えだね。
自分を憎む相手すらも守ろうなんてさ。
わからないね。そこまでする価値がほんとにあるの?」
<鳳王次郎>
「価値のあるなしではない。私は…やらねばならない。
この街を…民を…守る。そうしなければ、私の罪が永遠に消えることはない」
<ゼロ>
「そのためなら、最悪死んでもいい…ってこと?」
<鳳王次郎>
「ああ、そうだ。今、ここに立つことが…私の贖罪だ」
その宣言に呼応するかのように、U-DXロボの駆動音が一段と大きくなり、オールドヘブンの空間全体が、低い振動とともにわずかに揺らいだ。
やがてその駆動音は一定のリズムに落ち着き、続けて機体の外部スピーカーから男の声が流れ出す。
<曲田全一>
「…これが起動したということは、どうやら状況は相当切迫しているようですね。
となれば私は、愚民達を制圧しなければいけません。そしてもう一度、民衆を服従させてみせましょう」
スピーカーから響いているのは、紛れもなく曲田の声だった。
その抑揚のない響きが、薄暗い霧に包まれたオールドヘブンを冷たく支配していく。
<警告音声>
「U-DXロボ、恐怖支配モードに移行。武力行使を開始します」
U-DXロボは目にあたるセンサーをぎらりと点灯させ、ついにその巨体を動かし始めた。
<曲田全一>
「――統治者となるのは、私です」
<鳳王次郎>
「曲田…お前と私は、似ている。
どちらも…チヨダの亡霊…生まれ変わった新しい世界に、私達は必要ない。
だから…終わりにしよう」
毒で霞む視界を無理やりこじ開けるように一歩踏み込み、王次郎はビームバットの手元にあるボタンを押す。
するとビームバットは形状を変化させ、並々ならぬ爆風とともに輝き始めた。
それをUーDXロボに目掛けて振りかぶると、重い打撃音が交錯する激しい応酬が始まった。
ゼロは"面白くなってきた"とでも言いたげに双方の邪魔にならないようふわりと空中へと浮かび上がり、優雅な見物席を確保する。
U-DXロボは、鳳天心がクーデター鎮圧のため秘密裏に建造した都市防衛機構なだけあって、その一撃一撃は常人なら一発で沈むほど重い。
王次郎はギリギリで軌道を読み、バットで受け流したり身をひねってかわしたりしながら、必死に食らいついていく。
それでも、軌道を読み切れない一撃がわずかにかすっただけで、何度も膝をつき、地面に崩れ落ちそうになる。
そのたびに王次郎は――歯を食いしばって立ち上がった。
しかし、その踏ん張りももはや限界に近づいていた。ついに腕は鉛のように重くなり、思うように振り上げることさえままならなくなる。
U-DXロボの巨大な腕が大きく振りかぶられる。王次郎は諦めてはいなかったが、もはや体がその意思についてこなかった。
――私は、ここで終わってしまうのか…?
その瞬間、走馬灯のように――トラッシュトライブの仲間達の顔が次々と脳裏に浮かんだ。
孤児として生まれ、どこにも居場所を持てなかった王次郎にとって、トラッシュトライブは初めて手に入れた"帰る場所"だった。
だからこそ――絶対に帰らなくてはいけないという強い気持ちが、今にも崩れ落ちそうな体を無理やり動かしていく。
――もう一度、みんなと…。
凄まじい決意に背中を押されるように、王次郎はU-DXロボの次の攻撃を紙一重でかわし、最後の力でビームバットの出力を最大に上げた。
先ほどとは比べものにならない暴風と輝き。
まるでジェットエンジン――いや、兵器と呼ぶべきそれを、王次郎は必死に操る。
<鳳王次郎>
「うおおおおおおお!!!」
渾身の一撃がU-DXロボの急所を正確に捉え、巨体は軋む悲鳴をあげながら、ゆっくりと崩れ落ちていった。
ビームバットも役目を終えたように、元の形状へと戻っていった。
<ゼロ>
「おお、お見事。
あのどでかいのを倒すなんて、キミもやるね~」
ゼロはぱちぱちと大げさに拍手を送りながら、まるで他人事のようにニヤニヤと見下ろしつつ、ゆっくりと空から降りてきた。
その姿を目にした途端、王次郎はにじり寄っていった。
<鳳王次郎>
「まだいたとは、ちょうどいい…
U-DXロボが起動停止した今…曲田はもう配信はできない…
ごほうびでネオチヨダシティの統治ルールを廃止してくれ…」
<ゼロ>
「曜がいないところで、決めるのは癪だけど、きっと曜も同じ事を言うと思うし…いいよ。
いつもどおり、統治ルールを撤廃してあげる」
ゼロが軽く指を鳴らすと、一斉に周囲のスマホが鳴った。
確認すると"ヘラヘラテレビ"の視聴アプリから、サービス終了の告知が届いている。
そこには、今後はXBに勤しむようにと軽い調子のメッセージが記されていた。
<鳳王次郎>
「よかった…これで――」
それを確認した途端、王次郎の体から力が抜け、糸が切れたようにその場へ倒れ込んだ。
その拍子に、喉の奥から息と一緒に血がぶわっと噴き出し、地面を赤く染める。
か細くなっていく声を聞き逃すまいと、ゼロがしゃがみ込む。
<ゼロ>
「本当に理解できないね。こうなるってわかってたでしょ?
最終的に曜と一緒に俺を倒すって目的を果たしたいなら、ネオチヨダの住民なんて見捨てるべきだった」
ゼロの言葉は、正論そのものだった。
けれど、その選択を良しとするほど、王次郎の心は割り切れていない。
かつて自らの手で傷つけてしまったネオチヨダシティの人々が、これ以上苦しむ姿をもう二度と目にしたくはなかった。
だからこそ、王次郎は仲間達を置いて、鳳家の負の遺産であるU-DXロボにただひとり挑んだのだ。
この罪は己だけで背負う――王次郎は、そう心に決めていた。
これは自分が落とし前をつけることであり、過去の償いのために大事な仲間達を危険に晒す訳にはいかない。
ゆえに、仲間に打ち明けるという選択肢もまた、彼の中には始めから存在しなかった。
<鳳王次郎>
「少し…悔し…いな…」
<ゼロ>
「悔しい? それは死ぬことがかい?」
<鳳王次郎>
「ああ…トラッシュは初めて出来た…対等な仲間だった。もう会えないのは…悲しい…
だが…ようやく取り戻せた…私は…鳳王次郎として…死ねる…。
悪くない…いや…十分すぎる…。だから、これでいい…これでいいんだ…。
…ああ、もう一度…お前達、と――」
仲間達に、もう一度だけ会いたい――そのささやかな願いを言い切る前に、王次郎の声はふっと途切れた。
わずかに開いていた瞼がゆっくりと閉じていき、胸の上下も次第におさまっていく。
<ゼロ>
「………………」
ゼロは無言のまま王次郎の方へ視線を落とし、仮面の奥の表情を一切うかがわせないまま、しばしその場に立ち尽くしていた。
<ゼロ>
「まるで理解できないな。でも…すごいね、キミ。面白いよ。
だから…キミの最期の言葉、受け取ったよ。――王次郎くん」
そう言って、指を鳴らすと、王次郎の体はその場から静かに姿を消した。