9話「同じ痛みを共有する者」
曜は"トイレに行ってくる"と仲間達に嘘をつき、その場を離れると、物陰に隠れて、体育座りになった。
仲間達の中でひとりだけ上手くいっていない自分は、どこか人間として欠けているのではないか――
そんな不安を振り払うように、曜は顔を膝に埋めて小さく息を吐いた。
しんと静まり返った空間に、やがて聞き覚えのある機械音が混じる。
曜が顔を上げると、空間にノイズが走り、ホログラム姿の曲田がすっと立ち現れた。
<曲田全一>
「大丈夫です。うまくいかないことは誰にでもあります。皆、同じです」
<黒中曜>
「うわっ、曲田。お前、また来たのか…」
望んでもいない人物の登場に、曜は露骨に顔をしかめた。
それでも曲田は一向に気にする様子もなく、穏やかな笑みを浮かべたまま曜に声をかける。
<曲田全一>
「あなたはよくやっています。
少し、責任を負いすぎではないですか?」
――少し、責任を負いすぎている。
それは、まさに今の曜の悩みそのものだった。
<黒中曜>
「わかったようなことを言うな。
お前に…なにがわかる」
敵だとわかっていながらも、今の悩みを言い当てられたことで、完全には突き放しきれなかった。
本当は、これ以上口を開くつもりなどなかったのに、気づけば言葉がぽろりとこぼれていた。
<曲田全一>
「そうですね。十分に私はわかっていないのでしょう。
だからこそ、私は対話を望むのです」
<黒中曜>
「…言っただろ。
俺達は敵同士だ。手を組む気はない」
<曲田全一>
「それでは少し、独り言を話しても良いでしょうか」
<黒中曜>
「…勝手にしろ」
投げやりな返事を合図にしたかのように、曲田は静かに語り始めた。
<曲田全一>
「私がチャンピオンになる前、このシティの状況は酷いものでした…
突如始まった統治ルールの下で生き延びるべく、誰もが配信の視聴数を稼ぐことに必死になりました。
最初は、元々知名度や人気があった一部の人間がチャンピオンになりましたが、それも一時のこと。
視聴数を稼げない人々は、注目を集めるため、過激な行いに走るようになりました。
何かを破壊したり、命の危険があるような行動に出たり、あるいは他人の秘密をバラすことで貶めたり…
そうして傷つけられ、心を病んでしまう人々もいました。
中には絶望し、自ら命を落とす人間すらも。…私の友も、そんなひとりでした」
<黒中曜>
「…!」
淡々とした語り口のまま、しかし"友"という一言にだけ、かすかな陰りが差す。
曜の胸に、嫌というほど生々しい記憶がよみがえった。
<曲田全一>
「だから、このシティの状況を変えるべく私は立ち上がることにしたのです。
私は配信のモラル向上を訴え、少しずつ人々の共感を得ていき、幸運にもチャンピオンになれました。
ですが、今もなお視聴数を稼げず失われる命があります。
それでも、犠牲はなんとか最小限にしたい。そう考え、私はこのネオチヨダの住民すべてに対しお手伝いしているのです。
――もう、大切な命を失わないために」
曲田にもそんな過去があったことを知り、曜は一瞬、言葉を失う。
失った友の話が、自分自身の傷と重なっていく。
――あのとき胸に刻まれた痛みは、こいつも同じなのかもしれない、と胸の内でつぶやいた。
<曲田全一>
「あなたとナンバーズはゼロの対戦相手候補ではありますが、私は彼ともいつか和平を結べると思っています」
<黒中曜>
「ゼロと…? それは…無理だろ」
<曲田全一>
「無理だと頭から決めつけていては何も為せません。
実現のためにはあらゆる可能性を探るのです」
<黒中曜>
「確かに…いきなり否定から入るのは良くない、けど…」
<曲田全一>
「ふふっ。人間、生きてる限りは、そう簡単には変われません。お気になさらず」
柔らかく笑うその姿は、"敵"というより、少し変わった相談相手のようだった。
なぜだろう、彼の言葉を聞いていると、頭がボーッとし、不思議と心が穏やかになる。
自分と向き合ってくれている曲田に、曜は少しずつ心を開き始めていることを、ぼんやりと自覚する。
<黒中曜>
「…お前、俺達の配信を手伝ってくれるって言っていたよな? あれは…本当なのか?」
<曲田全一>
「もちろんです。私にできることならなんなりと」
――私にできることならなんなりと。
その一言が、張り詰めていた曜の心の糸をふっと緩めていく。
<黒中曜>
「まず何を配信すればいいのかがわからないんだ。
自分が人気になれる気もしないし…」
<曲田全一>
「まず視聴者に親しみを覚えてもらうことから始めるといいでしょう。
画面の向こうにいるのは大切な友達であり家族…そう思ってみるといいかもしれません。
きちんと語りかけ、コミュニケーションを取るところから始めましょう。初歩の初歩から、ひとつずつ」
<黒中曜>
「そう言われると、いきなりトップを目指そうと考えすぎていたのかもな…。
でもいいのか? こんな敵に塩を送るようなことをしてたら、チャンピオンの座を取られるぞ?」
<曲田全一>
「チャンピオンでなくなったからと言って、即座に殺されるわけではありませんよ。
私が望むのは理想の世界の成就…生きてさえいればどうとでもやりようはあります。
そう、大事なことは生き続けることです。
まあ、もっともあなたが私の過去の記録を、すぐに抜けるとも別に思いませんけどね」
<黒中曜>
「ははっ。随分と強気だな」
さらりと本音と挑発を混ぜて返す曲田に、曜は思わず笑った。
その笑い声は、ついさっきまで胸の中で渦巻いていた息苦しさを、大きく追い払っていく。
やがて笑いが落ち着くと、曲田も腰を下ろし、他愛もないことから真面目な話まで、取りとめもなく語り合い始めた。
たまに、質問と返事が微妙に噛み合わず、曜が苦笑する場面もあったが、それもまた曲田なりに必死で曜と対話しようとしている証のようだった。
ふと気付いたときには、すでに太陽は大きく傾き、周囲がオレンジ色に染まっていた。
<黒中曜>
「あ、もうこんな時間か。
そろそろ、みんなのもとに戻らなくちゃ」
腰を上げながら、曜は小さく肩をすくめる。
仲間達の顔が頭に浮かびつつも、この場を離れることに少しだけ名残惜しさが胸をかすめた。
<曲田全一>
「少年。お別れの前に、コラボ配信をしましょう」
<黒中曜>
「少年って変な呼び方だな。
でも、俺。コラボっていっても、何していいかわからないぞ?」
<曲田全一>
「ええ、とてもいい配信でしたよ」
<黒中曜>
「…え? いや、俺はまだなにもしてないけど」
<曲田全一>
「…これは申し訳ありません。少しボーっとしていました。
あなたは、ただ私に任せて自分らしくいればいい。
さあ、すぐに配信を始めてください」
<黒中曜>
「わかった」
空に向かってヘラヘラテレビちゃんを呼ぶと、いつものカウントダウンのあとに、すぐに配信が始まる。
いつまでたっても、この瞬間だけは、吐きそうなくらい緊張してしまう。
<黒中曜>
「ええと…黒中曜です。よろしく。
こういうの慣れてないから何を話せばいいのか…」
最初のひと言を口にした瞬間、頭の中が真っ白になりかけ、曜は反射的に配信終了のボタンへ視線を向ける。
だが、横を見ると、曲田が"大丈夫"とでも言うように静かにうなずいていた。
<黒中曜>
「そうだ…いきなりだけどゲストがいるんだ!」
<曲田全一>
「どうも皆さん、私のことは…ご存じですよね?
今日は新たな友の配信ということで、特別にお邪魔させてもらいました」
画面越しの視聴者に向けて、いつもの調子で柔らかく微笑む曲田。
その微笑みがどこか頼もしく見えて、曜は少しずつ平常心を取り戻していった。
<黒中曜>
「これからこのネオチヨダで配信をしていくに当たって、色々なことにチャレンジしたいと思ってるんだ。
だから、みんなにこの街のことを教えてほしい。俺はまだまだ知らないことばかりだから…」
たどたどしくも、さっきまで2人で話していた内容を思い出しながら、必死に言葉を紡いでいく。
すると、その一生懸命に話す姿が視聴者の印象に残ったのだろう。
画面いっぱいに曜を応援する声や、曲田との関係性を詮索するコメントが、次々と流れ始めた。
<黒中曜>
「って、うわっ!? すごいコメント量だな。
嬉しいけど、全部チェックできない…」
<曲田全一>
「今日はあくまでも顔見せ程度の配信にしておきましょう。
ただ、自己紹介はしっかりやるべきかと」
<黒中曜>
「そうか、最初の部分は見てない人ばかりだもんな」
<黒中曜>
「改めて、俺の名前は黒中曜。
訳あってネオチヨダに来たんだけど――」
………………
………………
………………
<曲田全一>
「…ということです。皆さん、彼をよろしくお願いします。
では、本日の配信はここまで。
新たな星が煌めくとき、変革の兆しあり。変化を恐れず、隣人には友愛を…」
曲田がそう締めくくると、2人のコラボ配信は静かに幕を下ろした。
さきほどは視聴者数を確認する余裕もなかった曜だったが、スマホで配信の記録を開いてみると、視聴者数が2000人に達していたことが判明する。
<黒中曜>
「曲田の影響力はすごいな…まさか出てもらうだけで、こんなに視聴数が稼げるなんて…」
<曲田全一>
「いいえ、少年。
これもあなたの実力…私は、ただ少し力添えをしただけです。
それでは、おやすみなさい。良き夢を」
<黒中曜>
「あ、待って――」
お礼を言おうと手を伸ばしたときには、すでに曲田のホログラムは淡いノイズとともに掻き消えていた。
敵である、という先入観だけで決めつけていた自分を思い返し、曜の胸にじわりと複雑な感情が広がる。
自分の配信を支えてくれて、命のことを真剣に語っていた姿は、どう見ても"今までの敵"とはかけ離れていた。
――案外、いいヤツ、なのかもしれない。
そんな考えが、ゆっくりと心の奥に沈んでいった。
気付けば、高所特有の冷たい風が吹き抜け、汗の引いた曜の体温を容赦なく奪っていった。
辺りを見回すと、自分を探しているツキ達の姿が見える。
小さく手を振り返し、皆と合流すると、名残惜しさを胸の奥に押し込んでオールドヘブンを後にした。