22話「XB~VS瑠璃色~③」
そして、3回表――
バッターボックスには瑠璃色が真剣な表情で立っている。
ピッチャーマウンドに立つミウは笑っているような、泣いているような、そんな不思議な表情をしていた。
曜はキャッチャーミットの隙間から見えるその顔を、何故だかとても優しげだと思ってしまった。
<十条ミウ>
「ねえ、瑠璃色…私、二度とシンジュクシティには戻ってくるつもりがなかったのよ。
だって、ここには…思い出がありすぎるから」
<古池瑠璃色F>
「あっそー、まあ、知ったこっちゃないけどさー」
<十条ミウ>
「任務のためとは言え、キャバクラ嬢になるなんてまっぴらごめんだと最初は思ってたのよ?
実際、お客さん達の酒臭い息も、欲にまみれた視線も…不快でしかなかった」
ミウは滔々と言葉を重ねていく。
その口調はとても柔らかで、まるで幼子に優しい物語を読み聞かせる母のようだった。
<十条ミウ>
「そんなんだから私、キャバクラ嬢としての態度も悪かったでしょ?
だいたいの同僚にも嫌われていたんだけど…それでも、日和と夜宵は優しくしてくれた。
どれだけ冷たくしても、諦めることなく話しかけてくれてね」
<古池瑠璃色F>
「ねー、超どうでもいいんですけど。いいから、早く球投げてよ」
だが、瑠璃色の抗議はミウには届かないようで、まるでそんなものは存在しないかのように話を続けていく。
<十条ミウ>
「気づけばヒカルのことも紹介されて…それからは私もすっかり心を許しちゃってね。
休みの日は4人でご飯を食べに行ったり、ヒカルの探偵の仕事をたまに手伝ったり…って言っても、ほとんど猫探しだったけどね」
ミウは目を細め、過ぎ去った過去に思いを馳せているようだ。
対して瑠璃色は興味なさげに自分の爪をチェックしていた。
<十条ミウ>
「そんな風にシンジュクシティでの暮らしに慣れてきて、一カ月ほど経ったころだったわ…」
途端に先ほどまで優しげに揺れていたミウの瞳がキリっと引き締まり、射貫くように瑠璃色を、見た。
<十条ミウ>
「ルミ、あなたがお店で働きだしたのはね」
瑠璃色はおもむろに顔を上げ、ミウの顔を見つめた。
通信を介してふたりの話を聞いていた日和と夜宵は、突然、ショックのあまりかよろめきだした。
ヒカルは静かに、まっすぐふたりを見つめていた。
<古池瑠璃色F>
「…ウチはそんな名前じゃない。ルミじゃなくて、瑠璃色よ」
嘲りを顔いっぱいに浮かべながら、即座に否定した。
だが、その表情が強張っていることをミウは見逃さなかった。
<十条ミウ>
「いいえ、あなたはルミよ。どれだけ着飾っても、顔を変えても、私にはわかる」
静かに、けれど決定的なミウの宣告に、瑠璃色は弾かれたようにバッターボックスで後ずさった。
これまで見せていた不敵な笑みは完全に崩れ去り、ひきつった顔で激しく首を横に振る。
<古池瑠璃色F>
「違う違う違うチガウ! そんな女、知らない! アタシじゃない!」
<十条ミウ>
「それなら…どうして、そんなに動揺しているの!?」
言うや否やミウは投球フォームに入り、振りかぶってボールを投げる。
だが、その球はスピードも遅く、打ちごろでしかないように見えた。
だが――
<古池瑠璃色F>
「くっ!」
動揺を隠しきれないまま、瑠璃色は無様に空振りした。
まずはワンストライクだ。
ミウは何事もなかったかのように、話を続けていく。
<十条ミウ>
「あなたはさっきこう言ったわ"ミウさん、あなたには絶対わからないよ!"って。
それとまったく同じ言葉を言ったこと、覚えていないの?」
予想外の角度からの指摘だったのか、瑠璃色は一瞬、動きを完全に止めた。
大きく見開かれた両目は、瞬きすら忘れている。
<古池瑠璃色F>
「…え?」
<十条ミウ>
「私は覚えているわ。だって、それがあなたから聞いた最後の言葉だったんだもの」
――それは数年前、ミウが任務のため、シンジュクシティに滞在していたころのことだった。
当時、キャバクラ嬢として何も上手くいかず、この先の人生を楽しく過ごせるビジョンも見えないと嘆くルミを、ミウはよく慰めていた。
その日も閉店後、スタッフもキャストも帰った店内で、ふたりきりになって話を聞いてあげていたのだ。
<ルミ>
「また…騙されちゃった…。
良い投資話があるし、乗ってくれたら指名してあげるって言うから信じたのに、お金も取られた上にその人、姿を消したから指名もしてくれなかった…!」
ミウから見ても、ルミはとても素直で良い子だった。
だがその反面、あまりにも世間知らずで、他人を信用しすぎるところがあった。
他のシティなら、それは美徳として褒め讃えられていたかもしれない。
だがことシンジュクシティでは、そういう人間はただ獲物にされるだけだ。
<十条ミウ>
「前も言ったじゃない。怪しい話をされたら、まず私か日和か夜宵に相談しなさいって…。
それで、いくら取られたの?」
<ルミ>
「…100万カネー」
消え入りそうな声で、呟くようにそう言った。
膝の上に置かれた手はきつく握り込まれており、派手なネイルが食い込み、外れそうになっていたが、本人はそれにすら気づいていないようだった。
<十条ミウ>
「はあ…なんとか工面してあげるから、これに懲りたら上手い話なんてないってことを学ぶのよ?」
ルミは顔をくしゃくしゃにしながら「ごめんね…ミウさん」と決まり悪そうに言う――はずだった。
いつもなら、そうなるはずだった。
そしてミウは、涙を堪える彼女を連れ、日和と夜宵とヒカルが待つ事務所へ向かい、皆でルミを慰める――そのはずだった。
だけど、この日に限ってはそうはならなかった。
<ルミ>
「…いい、ミウさんに頼ってばっかじゃいられないもん」
頬を膨らませながら、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
ミウは苦笑いを浮かべながら、ルミの手を取る。
<十条ミウ>
「だったらどうするの? お金の当てなんてないんでしょ?
こういうとき、頼れるのは友達だけなんだか――」
直後、"パリン"とガラスが砕ける音がした。
ルミが荒々しく腕を振り、テーブルの上に残っていたグラスを床に落としてしまったからだ。
<ルミ>
「…て、思ってない…くせに…」
それはあまりにも微かな、けれど、痛々しい響きを伴った声だった。
<十条ミウ>
「ルミ? こんなことしちゃダメ――」
<ルミ>
「友達だなんて、思ってないくせに…!」
ルミの目は、何か疎ましいものを見たときのように黒く濁っていた。
ミウが呆気に取られている間に、彼女は言葉を続ける。
<ルミ>
「ミウさんも…日和さんも…夜宵ちゃんも…みんな、アタシが馬鹿でブスだから、同情して優しくしてくれてるだけでしょ?
自分より下の人間を見て、安心してるだけなのは…わかってるんだから!」
その叫びはあまりにも悲痛なものだった。
口にした言葉は呪いとなり、自らをまた責める枷となる。
それでも、ルミには止めることができないようだった。
<十条ミウ>
「そんなことないわ…! 私達は…本当にあなたのことを心配してるの!
あなたが傷つけば、まるで自分が傷ついたみたいに悲しくなるし――」
ルミはその言葉を聞いて、ピタリと動きを止めた。
だが、すぐに馬鹿にしたかのように鼻を鳴らす。
それは、とても醜悪な仕草で、ミウにはまるで知らない人間のように見えた。
<ルミ>
「自分ごとみたいに思えるって? そんなこと…あるわけないじゃない。
見た目も良くて、他人と仲良くするのも得意で、お客さんにだって好かれてるアナタ達は…アタシとは何から何まで違うじゃない!」
<十条ミウ>
「そんな…そんなことないわ。私だってうまくいかないことはあるし…」
<ルミ>
「ううん、絶対にわからない…ミウさんには、絶対にわからないよ!」
そのまま、ルミは弾かれたように席を立ち、店を出て行ってしまった。
普段の姿からは想像もできない彼女の様子に、ミウはしばらく放心してしまう。
いつの間に、ルミはあんなに追い詰められてしまっていたのだろう。
それに気づけなかった自分に腹が立った。
とにかく、あの子が落ち着いたころに、ゆっくり話をしよう。
そのときは、日和と夜宵とヒカルにも同席してもらうべきだ。
大丈夫。ルミだって、本気で言ったんじゃないはずだ。きっとやり直せる。
そう思いながら店を出て、滞在していたホテルへ向かって歩いた。
ふと空を見上げると、満月が不気味なほどに輝いている。
その妙な明るさが、どこか不吉なもののように思えた。
それから数日が経った。
だが、ルミはミウと会うことを避けているようで、電話をかけても、NINEを送っても、返事はなかった。
そうこうしているうちに、ミウの本来の仕事は完遂され、シンジュクシティを離れることになった。
日和と夜宵とヒカルに別れを告げる暇もなく、芥から帰還を命じられ、それに従うしかなかった。
ただ――
最後に見た、ルミの涙に濡れた顔だけが、ミウの中に残り続けていた。
そして今。
あのとき助けることができなかったルミが、古池瑠璃色となって目の前に立っている。
今度こそ、彼女を救ってみせる。
<十条ミウ>
「引っ込み思案だったルミが、統治ルールのチャンピオンになっただけでも驚きなのに…ナンバーズにまでなるなんてね」
<古池瑠璃色F>
「ウチは…ルミなんかじゃ…」
震える声でそう言う瑠璃色だったが、やがて諦めたように一息つき、頭を乱雑にわしゃわしゃと掻く。
<古池瑠璃色F>
「とか、言っても意味ないか…そうだよ、久しぶりだね、ミウさん」
瑠璃色は自らがルミであることを遂に認めた。だが、まだ終わりではない。むしろ、ここからが始まりだ。
<十条ミウ>
「あなた…どうして、こんなことに?」
<古池瑠璃色F>
「どうしてって言われてもねー。弱くて、ブスで、馬鹿な自分を殺したらこうなったってかんじかな?
アタシね、ずっとミウさんや、日和さんや、夜宵さんが…羨ましかったんだ」
瑠璃色がかつての自分を卑下するたび、ヒカルの表情がどんどんと不快げなものになっていく。
けれども、ふたりともそれには気づかなかった。
<十条ミウ>
「そんなこと…思わなくてよかったのに。私達は、あなたの素直さや、お人好しなところに惹かれてたんだから」
<古池瑠璃色F>
「あはっ、そりゃどーもね。でも、アタシだって努力してたんだよ?
明らかに向いてないメイクしたり、出し慣れてない甘い声で喋ったりして…けど、キャバ嬢として人気なんて全然出なかった。
それなのに、ミウさん達は何も偽ることなく、みんなから好かれててさ。
シンジュクシティでは、綺麗な蝶だけが愛でられる…っていう言葉は、本当だったね。
蛾のように醜いはアタシは、誰にも愛されない…」
かつての自分を思い出すと気分が沈むようで、声もどんどん小さくなっていく。
だが、不意に吹っ切れたような顔を見せた。
<古池瑠璃色F>
「いつの間にか、自分とミウさん達を比べるようになっちゃって! そしたら、なんでアイツらばっか…!
って悔しくて悔しくて…だから、もう側にはいられないと思ったんだ。あれ以上一緒にいたら、頭がおかしくなりそうだったから!」
<十条ミウ>
「…ごめんなさい。気づいてあげられなくて。
あのとき、例えどんな事情があろうとも、シンジュクから離れるべきじゃなかったわ」
瑠璃色は苦笑しながら、手をぶんぶんと顔の前で振っている。
<古池瑠璃色F>
「いーのいーの。それに、アタシ、瑠璃色になれて本当に幸せなんだから。
馬鹿で、愚図で、のろまで、誰からも愛されなかったルミを捨てられたのも、ある意味ではミウさんのおか――」
<四谷ヒカル>
「ふざけるな…!!」
突如として大声が響き、瑠璃色の言葉は途中で遮られた。
そのまま、ヒカルは歯を食いしばりながら猛然とピッチャーマウンドまでやってきて、ミウの横に並んだ。
<四谷ヒカル>
「ルミが…いや、るーちゃんが誰からも愛されなかっただと…?
いい加減にしろ…! 古池瑠璃色がそんなに完璧か!?」
<古池瑠璃色F>
「あ、あったりまえじゃん!
誰にも負けない豪運と、あらゆる知識を持ち、誰からも愛されるシンジュクナンバーワンの女なんだよ!?」
<四谷ヒカル>
「いいや、そんなのはすべてフェイクだ。るーちゃんは優しくて、人に寄り添える強さを持っていた。
たとえ会話や接客が苦手だって…それでも、その強さをボクは確かに感じていた!」
<古池瑠璃色F>
「嘘だ! ただ、同情心からアタシのこと、指名してただけでしょ!?」
ヒカルは思いっきりしかめ面を見せてから、ミウに向き直った。
<四谷ヒカル>
「…確かにるーちゃんには、はっきりと言葉にして伝えられていなかった。
それは…ボクの過去の過ちだ。だから今ここで、やり直してやる。ミウちゃん、ピッチャーを代わってくれ」
<十条ミウ>
「そうね…ここから先は、あなたの仕事だわ」
そうして、ミウはボールをヒカルに託した。受け取ったヒカルの顔は、かつてないほど緊迫感に満ちているように、曜には見えた。