8話「守るべき存在」
三田が泣き止むと、一同はえのきと西郷を庭に残したまま、和室に戻った。
縁側からふたりが黙々と掘り続けている音が聞こえてくる。
その音が、静かな夜にぽつぽつと印をつけるように響いていた。
<上野弥次郎兵衛>
「それでは、改めて。私達のことをお話ししましょう」
上野が座り直し、静かに語り始める。
くたばれ祭りの格付けがどれほど追い詰められた形で機能しているか――
上野と花札がどうやって芥を避けて、ここまで来たのか――
話を聞くほどに、状況の重さが増していく。
話が一通り終わると、百一太郎は上野達を睨みつけた。
<千住百一太郎>
「つまり、なんだ…おめーらは、ずっと芥を避けてたってことか?」
<上野弥次郎兵衛>
「そういうことになりますかねえ」
<千住百一太郎>
「なんで戦わないんだよ! それでも男か!?
芥がいるかぎり、この街の人らは毎晩戦い続けなきゃいけないんじゃねえのか!?」
<Q>
「よせ、そうせざるを得ない事情があるのかもしれない」
<千住百一太郎>
「けどよお!」
百一太郎の声が少し大きくなった。
感情のままの言葉に、場の空気がわずかに揺れる。
上野は表情を変えなかった。花札も腕を組んだまま動かなかった。
そのとき、廊下から声がした。
<爽やかな若衆>
「上野の旦那、それに新顔の皆さん! 本日分の報酬でさァ!」
引き戸が開き、若衆が大きな風呂敷包みを運んでくる。
重そうに抱えたそれを縁側の前にどさりと置いた。
布をめくると、米袋と野菜、干し魚などが詰め込まれていた。
<上野弥次郎兵衛>
「ありがとう、ご苦労さんです」
<桜花札>
「ほら、オメーらも戦ったんだから貰っとけよ」
そう花札に促され、トラッシュトライブの面々も食料を手に取る。
どうやら、これがくたばれ祭に参加した報酬のようだ。
<爽やかな若衆>
「そんじゃ、あっしはこれで! まだ配る先があるんでね」
そして、若衆が去ると同時に、庭の方から気配がした。
小さな気配が、ひとつ、ふたつ、みっつ…そして、それらはどんどん増えていく。
気づけば庭の端に子どもたちが集まっていた。
その後ろに、やせ細った女たちの姿も見える。
誰もが遠慮がちに、しかし食料の包みを目で追っていた。
<痩せた子ども>
「上野のおにーちゃん」
<上野弥次郎兵衛>
「はいはい、待ってなさいな」
上野が立ち上がり、包みの中から食料を取り分け始める。
花札も無言で立って、子どもたちの前にしゃがみ込んだ。
同時に屋敷の奥のほうから足音が聞こえてきて、和服姿の男女が数人現れた。
どうやら、タイトウトライブのメンバーのようだ。
彼らは上野と花札と共に、食料を配布していく。
<桜花札>
「ほら、持てるか? 重かったら言えよ」
子どもが両手で食料を受け取り、ぎゅっと抱える。それから、満面の笑みを浮かべた。
女達にもひとりひとり手渡していき、皆、受け取ると深々と頭を下げた。
その一連の光景を、曜たちは黙って見ていた。
ひととおり配り終えると、上野が百一太郎の方に向き直った。
<上野弥次郎兵衛>
「ここでの食料は、くたばれ祭りで得た報酬で与えられるものだけですからね…」
<桜花札>
「まともに戦えない女や子どもは、誰かに頼るしかねえんだ。
オレらが負けたり、死んだりすればこいつらは食べるものを失う」
<上野弥次郎兵衛>
「芥塵と戦うことを怖いとは思っていません。
ただ、軽率に命を賭けることが、今の私たちにはできないというだけのことです」
百一太郎は黙って下を向いた。
さっきまでの勢いは、もうなかった。
<千住百一太郎>
「悪かった…。なんも考えずに言いすぎた…」
<桜花札>
「ガキが気にするんじゃねぇ。
オレもお前と同じくらいのときには、同じことを思ってたかもしんねぇ」
<千住百一太郎>
「それでえーと、その…」
百一太郎はチラチラと先ほど自分が貰った食料に目をやり、もじもじとしている。
それを見た曜は、彼が何を言いたがっているのかピンときた。
<黒中曜>
「俺たちの食料もみんなに配ってあげないか?
こんなにたくさんあっても食いきれないだろ?」
そう言われた百一太郎は途端にパアっと顔を明るくする。
<千住百一太郎>
「お、おお! それ、ナイスアイデアだな! そうしようぜ!」
そうしてトラッシュトライブの皆は食料を上野に手渡した。
上野はそれを恭しく受け取り、その顔には確かに感謝の念が滲んでいた。
<上野弥次郎兵衛>
「ありがとうございます」
子ども達に追加の食料が配られると、今度は楽しげな声が庭に広がった。
一同は、その光景を微笑ましく見つめる。
だが同時に――
統治ルールに苦しむ人々を、一刻も早く解放してやりたいという思いが、胸に込み上げてくるのだった。
――数分後。
一同は、戸を完全に締め切って、再び芥の話に戻った。
<青山カズキ>
「とにかく、まずは芥の動きのパターンを把握したい。
今夜見たかぎりでは、速さよりも圧力で押してくるタイプに見えたけど」
<桜花札>
「あいつは読めないぜ。戦いながら変わっていく。
パターンなんてものがそもそもねえんだ」
<上野弥次郎兵衛>
「そうですねえ。やっこさんは相手の出方に応じて即座に戦い方を変えます。
固定した攻略法は通じません」
<十条ミウ>
「性格は変わっても、そこは同じね…どうやって崩すかを考えましょう」
<アサガオ>
「崩す、ねえ…崩せると思ってる時点で、お門違いじゃないかい?」
部屋の隅で目を閉じていたアサガオがぽつりと言い、全員の視線が集まる。
アサガオは目を開けることなく、言葉を続けた。
<アサガオ>
「あいつを崩そうとするから無理が出る。
崩れないものを崩そうとすれば、こっちが先につぶれる」
<黒中曜>
「じゃあ、どうするんだ」
<アサガオ>
「あたしに聞かないでよ。それを考えるのはあんたらの仕事さ」
アサガオが目を開き、曜をまっすぐに見据える。
その目は静かに、だが、何かを値踏みするような鋭さを持っていた。
<アサガオ>
「ただ…あんた、黒中曜っていうんだっけ?
あたしは、あんたが芥を倒す鍵になるって思ってるよ」
<黒中曜>
「え、俺が…?」
<アサガオ>
「ああ、あんたには実績があるっていうのもあるけど――
あたしには、あんたが芥と同じ何かを持っているように見えるんだ。
まっ、勘の話だけどね」
――芥と同じ。
その言葉に曜は変な引っ掛かりを覚え、少し目眩がした。
<上野弥次郎兵衛>
「曜さん。すみませんねぇ…
アサガオが変なことを言ってしまいまして…」
<黒中曜>
「あ…いや…大丈夫。あんまり気にしないでくれ…」
<上野弥次郎兵衛>
「そうは言っても、少し顔色が悪いですよ?
今夜は休んで、明日から改めて策を練りましょうか?」
<青山カズキ>
「そうだね。いい時間だし、今夜は無理せず明日に備えよう」
そうして話が一区切りついたところで、食事の支度が整い、子ども達や女達と共に庭先で輪になって食べることになった。
竹の器に盛られた米と味噌汁、それに魚の干物。
素朴な食事だが、皆で雑談を交わしながら口に運ぶそれは、格別の味だった。
そんな憩いのひと時――
<女A>
「い、いやああああああああ!」
<子供A>
「おっかさん、おっかさん…!」
<女B>
「大丈夫よ…お願いだから、落ち着いて…!」
不意に、反対側で食事をとっていた親子が悲鳴を上げた。
<彩葉ツキ>
「な、何…!?」
曜達がはっと振り向くと――
そこには、大柄な体躯。ゆったりとした足取り。
そして、人を食ったような笑みを浮かべた芥塵が立っていた。
曜達は、すぐさま立ち上がる。
<黒中曜>
「何しに来たんだ…!」
<芥塵>
「おいおい、嫌われたもんだな。さすがにショックだぜ。
ま、落ち着けよ。ただ話に来ただけだ」
芥が両手を上げ、バンザイするかのようなポーズを取った。確かに争う気はないようだ。
それでも、誰も緊張を解かなかった。いや、解けなかった。
芥は一同の反応に構うことなくのんびりと庭に踏み入り、えのきが掘った穴の縁をちらりと見た。
<芥塵>
「なんだこれ、穴掘ってんのか?」
<雪谷えのき>
「そうだよー、この下にタイガがいるからね」
<芥塵>
「タイガ?」
<雪谷えのき>
「あたしの恋人! すっごくカッコいいんだよ!」
芥が少し目を細め、それから、ふっと笑った。
<芥塵>
「そうか、会えるといいな」
芥はそのまま縁側の前に歩み寄り、あぐらをかいて座った。まるで自分の家のように。
子どもたちが、芥から距離を取るように後ずさる。
それを見ても、芥は気にした様子がなかった。
<桜花札>
「で、オメーは何しに来たんだ?」
花札が子どもたちを庇うように前に出て、いつもより一段と低い声でそう尋ねた。
<芥塵>
「言っただろ。ただ話に来ただけなんだが…。
あー…お前らのメシ見てたら、腹が減ったなあ。
なあ、そのメシ、もらってもいいか?」
<三田三太郎>
「ふざけんな。お前は、チャンピオンでたくさんの食べもんをもらってるんだろ!
お前に分ける食べもんなんてねぇ!」
<上野弥次郎兵衛>
「まあまあ…変に刺激するのはやめましょう…
芥…私の食べかけでもよければ、召し上がってもいいですよ」
上野が器を差し出すと、芥はそれを受け取り、一口すすった。
<芥塵>
「へへっ、やっぱよく動いた後は飯がうめえや」
芥は、地面に器を置いて、"ご馳走様"を意味する合掌を黙って行う。
そして――
<芥塵>
「オレはな、いつも退屈してるんだよ」
誰に向けるでもなく、ぽつりと言った。
意外にもその声音には寂しさが滲んでいるようだった。
<芥塵>
「毎晩くたばれ祭りがあって、強いやつと戦える。最初はよかったんだ。
けどよ、ここにいるやつらじゃ物足りなくなってきちまった。
だから、お前らが来たとき、久しぶりに血が騒いだ」
芥が、曜を見た。まっすぐな目だった。
それは純粋そのものであり、シンジュクシティであれだけの悪行をしでかした人間がしていい目ではなかった。
<芥塵>
「…なあ、黒中。頼みがある。オレの退屈を、解消してくれ」
<黒中曜>
「断ったら、どうなる?」
<芥塵>
「引き受けてくれるまで、毎晩来るさ。
そして、お前らもだ」
芥の視線は、曜から花札と上野に移る。
<桜花札>
「何がだよ」
<芥塵>
「ずっと、本気出してないだろ。
なんとなく、わかるんだよな。牙を隠してるやつの特有の匂いってやつがよ」
<桜花札>
「――っ!」
<芥塵>
「もう見逃したりはしねぇぜ。
本当に、今のオレは退屈で退屈でおかしくなっちまいそうなんだ…。
次のくたばれ祭り…楽しみにしてんぜ…」
芥はニヤリと笑みを浮かべたあと、夜の闇の中に溶けるように消えていった。
<アサガオ>
「完全に目をつけられたね…」
<黒中曜>
「巻き込んでしまって、ごめん。
俺たちがここに来たせいで、余計なことになった」
曜が上野と花札に向き直り、深く頭を下げる。
これまでふたりは、この場にいる人々を守るため、芥との戦闘を避けてきた。
"強者"だと知られれば、執拗に狙われる――それを理解していたからだ。
それなのに、自分達が来たことで、ふたりは芥の視界に入ってしまった。
<上野弥次郎兵衛>
「先ほど、ともに芥を倒そうと話し合ったばかりじゃないですか」
<桜花札>
「ああ、どのみち、オレらの存在はバレていた。
ここから先は、本腰入れて戦わねぇとな」
<黒中曜>
「ふたりとも…」
曜は顔を上げて、ふたりの顔を見ると、曜の心配とは裏腹にやる気に満ちた表情をしていた。
<彩葉ツキ>
「よーし! みんな!
芥を倒して、統治ルールを撤廃しようね!」
<千住百一太郎>
「ああ! みんながメシに困らねぇ街にしようぜ!」
<三田三太郎>
「ああ!」
ツキが拳を天に掲げたのをきっかけに、メンバー達も次々と拳を掲げた。
曜もまた、タイトウシティの住人達を必ず救うと心に誓い、拳を掲げる。