12話「毒の使い手」
いつものように祭り囃子の音が裏通りに響く。
頭上の提灯が揺れ、石畳に橙色の光が落ちる。人通りのない路地に、太鼓と笛と鐘の音が満ちていく。
そして、神輿が来た。面をつけた若衆たちが担ぎ棒を肩に乗せ、路地の両端からぞろぞろと現れる。
その上に乗せられ、今夜も戦いが始まる。
向かってくる住人たちをさばきながら、ひと区切りついたところで曜が息を整えたそのとき、別の神輿から声が聞こえてきた。
<芥塵>
「よお、黒中! 探したぜ。街の連中に居場所聞いたら、みんな親切に教えてくれたわ。いいヤツらだよなぁ!」
芥が悠々と歩いてくる。口元に笑みを浮かべたまま、神輿の縁に手をかけてドシンと着地した。
<彩葉ツキ>
「いい加減にしてよ! 毎晩毎晩、ほんっとしつこい!」
ツキが頬を膨らませながら曜の前に出た。芥が手を伸ばしかけた、その瞬間――
<桜花札>
「…テメーの相手は俺だ」
花札が正面に立った。その目に、いつもとは違う色があった。
十日以上こらえてきた何かが、今夜は滲んでいた。
<芥塵>
「ほォ…遂に本気出してくれんのか? いつもと顔が違うぜ」
<桜花札>
「うるせえ。さっさと来やがれ」
花札が踏み込み、全力で拳を叩き込む。
衝撃は神輿の床まで伝わったが、芥は動じなかった。笑みが深くなる。
<芥塵>
「そうだ、それだよ! ずっとそれをやってくれりゃよかったんだ!」
すぐに芥の反撃が始まる。
<桜花札>
「――ッ!」
花札は弾かれ、柵に背中から叩きつけられた。それでもすぐに立ち上がる。
上野が素早く横に滑り込み、芥に圧をかけた。
<上野弥次郎兵衛>
「お相手は、ハナだけじゃありませんよ?」
上野が動線を塞ぎ、花札が攻め込む。
それでも芥は、どちらの攻撃もなかったことのように受け流した。
そこにQが割り込み、無駄を一切排した打撃を芥の脇腹に打ち込む。
鋭い一撃が確かに入った。それでも、芥の体はわずかに揺れただけだった。
<Q>
「手応えはある。だが、効いてはいないな…」
<青山カズキ>
「Q、右から押し込んで。三田くんは左だ。挟むように」
カズキが的確に指示を出し、Qと三田はそれに従う。だが、芥はそれでも止まらない。
<三田三太郎>
「くそっ、まじで無敵すぎんだろ、こいつ!」
<青山カズキ>
「泣き言を言ってる暇はないよ。とにかく、攻めるんだ」
<西郷ロク>
「オレもいこう」
西郷が横から体当たりをかけ、芥の重心を一瞬揺らした。
だが、軽く揺れただけだった。
<西郷ロク>
「まるでダメだな…」
ぽつりとそれだけ言って、すぐにまた立ち向かっていく。
えのきがぴょんと兎のように跳ね、横から突っ込む。
園芸こてを両手で握り、芥の足元を狙って叩きつける。
<雪谷えのき>
「これならどうだー!」
<芥塵>
「ガキじゃねぇし、当たるかよ!」
芥がひょいと飛んでかわした。
着地と同時に、とん、と軽く突き、えのきがごろごろと転がる。
<雪谷えのき>
「あいたー」
曜も右側から拳を叩き込む。
確かに当たった。それでも芥は微動だにしなかった。
<芥塵>
「黒中ァ、腕上がってるじゃねえか。でも、まだ全然足りねえよ!」
芥の腕が薙いだ。
曜は咄嗟に腕で防いだが、衝撃が腕から肩を突き抜け、体ごと後方に飛んだ。
柵に背中を打ちつけ、息が詰まる。視界が白くなる。
<彩葉ツキ>
「曜!」
<黒中曜>
「大丈夫だ」
肩で息をしながら、呟くようにそう言った。
<彩葉ツキ>
「大丈夫じゃないでしょ! どっか折れてるんじゃないの!?」
ツキが慌てて曜に駆け寄ろうとしたのを手で制する。
起き上がろうとして、腕が震えた。
また自分は何もできないのか――そう思いかけたそのとき、神輿の隅から、人影が動いた。
ジオウが音もなく芥の背後に近づいていく。
全員が戦闘に集中していて、誰もそれに気づかなかった。
その手には小さな注射器が握られていた。
曜がそれに気づいたのは、ジオウが芥のすぐ後ろに立ったときだった。
<十条ミウ>
「ジオウ。待っ――」
何かを察したミウが反射的に飛び出す。
<滝野川ジオウ>
「………………」
一瞬、ジオウとミウの視線が交わった。
ミウの表情が、わずかに緩む。
――止まってくれた。
そう思った、その瞬間。
ジオウは何も言わず、芥へと向き直る。
そして、躊躇いなく――注射針を首筋に突き立てた。
<芥塵>
「…っと、あ、アア?」
芥が動きを止めた。
首筋に触れ、引き剥がす。蚊を払うかのような仕草をして、注射器が体から離れる。
青みがかった液体が、指先に付着していた。
ジオウが下がり、そのまま曜の隣に立ったが、その顔にはなんの感慨もなかった。
ただ、役割を終えた者の静けさだけがあった。
<黒中曜>
「ジオウさん…芥に何をしたんだ…?」
そう問いかけながらも、曜は気づいていた。
芥は死ぬかもしれない――
その可能性に、胸の奥で、抑えきれない衝動が弾ける。
――嬉しい。
だが、その感情を押し殺して、何も知らない顔で、他の面々と同じように戸惑いを装う。
でなければ、また"異質"として、皆から非難されることが目に見えてたからだ。
<アサガオ>
「あんた、なんでアレを持ってるんだい…?
もしかして、あたしが埋めたのを掘り起こしたのかい…?」
ジオウが返事をする前に――
曜と同じく気づいたアサガオが、ぎりり、と奥歯を噛みしめ、ジオウへと詰め寄る。
その鋭い眼光を受けてもなお、ジオウは意に介した様子もなく、淡々と口を開いた。
<滝野川ジオウ>
「いや、その前にすり替えただけだ。これが一番効率がいいからな」
<彩葉ツキ>
「じゃあ…芥にさっき打ったのって…」
<滝野川ジオウ>
「ああ、NEONからもらった毒さ」
<十条ミウ>
「ジオウ、どうして…?
あのとき、約束したじゃない。もう、人を殺さないって…なのに、どうして…」
それはミウにとって、ジオウと交わした大切な約束だった。
そしてそれは、ジオウにとっても同じはずだった。
だが――
<滝野川ジオウ>
「何を言ってるんだ?
人を殺さない俺たちに、生きる意味なんてないだろ?」
今のジオウにとって、かつての約束は存在しないも同然だった。
不思議そうに、本当に不思議そうに、ジオウは言った。
皮肉なことに、その少しとぼけた声色は記憶を失う前の彼のものに少しだけ似ていた。
<十条ミウ>
「本当に…忘れてしまったのね…」
ミウはふらりと体を揺らし、その場に膝を突いた。
慌てた様子で小石とつる子が駆け寄り、体を支えるが、ミウは何事かをぶつぶつと呟くのみだった。
<芥塵>
「――ガハッ」
その直後、芥の体が傾いだ――
膝が折れ、神輿の床に手をつき、そのまま倒れた。
重い音がしてそのままうつ伏せ状態になった芥を見ても、誰も、何も言えなかった。
<千住百一太郎>
「死んじまった…のか?」
数十秒の後、絞り出すように百一太郎がそう言った。
<小日向小石>
「ど…どうしよう…。解毒剤もないし、どう治療をすれば…」
<轟英二>
「打ってしまったのは仕方ない…。
やつには、立派な墓を立ててやろう…
そうすれば、地獄で少しは許してくれ――」
一同が芥の死に戸惑っていると、"クククッ"という笑い声がした。
芥がのそりと床に手をついたまま体を起こす。その肩は揺れている。
苦しんでいるのではなく、笑いをこらえていた震えだったのだと、そのときになって初めてわかった。
そのまま、ゆっくりと立ち上がった。何もなかったと言わんばかりの晴れやかな顔で――
<芥塵>
「お前ら、やってくれるじゃねえか! 毒か、毒を使ったのか!
ああいいぜ、これはルール無用の殺し合いだ! そうこなくちゃな!」
<滝野川ジオウ>
「――ッ」
全員がその場で凍りついた。
ジオウが使った毒は、象すらも瞬時に殺すものだったはずだ。
それを受けて生きているなんて、最早人間とは呼べない。化け物だ。
<轟英二>
「き、貴様、毒を盛られたんだぞ!?
なんで、まともに立つことができるんだ!?」
<芥塵>
「オレはこの世のあらゆる毒に耐性がある。
ガキの頃からずっと鍛えてきたんだ。毒蛇に噛まれても、毒キノコを食っても、ぴんぴんしてたぜ。
お前らが持ってきたやつなんか、なんともねえよ」
笑いながら、地面に転がっていた注射器に目をやり、拾い上げるとそのまま夜空に向けて放り投げた。
<黒中曜>
「そんな…毒すらも無効化なんて、ありえない…」
<滝野川ジオウ>
「…これは想定外だな」
初めて、ジオウの声にわずかな揺らぎが混じった。
芥はゆっくりと全員を見渡した。
ひとりひとりを吟味するように。
やがて、その顔から笑みが消え、細められた目が冷たく光る。
<芥塵>
「しっかし、意外性はあったけどよ。お前ら、今までオレにまともな一発を入れたことがあったか?
毒を使うなんて最終手段だろ? まだ早くねえか? オレはお前らに、もっと期待してたんだけどな」
声が、どんどん低くなっていく。豪快さとは別の、底冷えするような声だった。
<芥塵>
「…ったく、期待外れだ。物事には段階っつーもんがあんだよ。
ま、そういうことなら、こっちも遠慮なくいかせてもらうわ。
今夜のお前らは、ちょっとくらい痛めつけられても文句は言えねえよなぁ」
気づけば、祭囃子の音は消えていた。
だが、芥は何も気にした様子はなく、曜たちに向かって歩いてくる。
今日の戦いはこれで終わり。その、はずだった。
<黒中曜>
「待て、今日のくたばれ祭はもう終わったぞ。これ以上の攻撃は許されない」
曜のそんな指摘も、芥は鼻で笑い飛ばした。
<芥塵>
「…んなこと関係ねえ!」
言うと同時に、芥が強く踏み込んだ。
これまでとは違う速度だった。加減を外した、本気の速さ。
花札が曜を庇うように前に出て、攻撃を受け止めようとしたが吹き飛んだ。
<桜花札>
「ッ――みんな、逃げろ!」
<上野弥次郎兵衛>
「ハナ!」
皆は逃げようとはせず、芥に立ち向かった。
だが、Qは三度拳を打ち込んだが、なんのダメージも与えられない。
西郷が掴みかかり、叩きつけられた。
ミウが前に出た。だが芥はミウの動きも、一瞥しただけで止めた。
<彩葉ツキ>
「ミウさん!」
そのままミウの体は弾かれ、えのきが受け止める。
<雪谷えのき>
「あららー、大丈夫?」
<十条ミウ>
「大丈夫。下がってて」
ミウは気丈にそう答えたが、今の芥に立ち向かう術は誰一人として持っていなかった。
その後も芥は獣のような俊敏さで立ち回り、トラッシュトライブを蹂躙していく。
怒りに満ちたその攻撃は烈火のごとく激しく、誰もが傷つけられていった。
<青山カズキ>
「とにかく散ろう! 逃げるんだ!」
皆も限界に近いと判断したカズキが叫び、その言葉が合図になった。
全員が神輿の縁から跳び、路地に降り立ち、それぞれが方向を変えて走り出す。
<青山カズキ>
「それぞれ別方向へ! 一か所に固まるな!」
曜は走った。裏通りの石畳を息を切らしながら駆けていく。
提灯の光の間を抜け、荷車を飛び越え、木箱を回り込んで、ただ前へ。
背後から足音が聞こえる。芥が追ってきていた。足取りはあくまでも緩やかで、それがかえって、恐ろしかった。
<芥塵>
「逃げても無駄だぜ、黒中! この街でオレから隠れられる場所なんかねえよ!」
大きな声が路地に反響した。曜は角を曲がり、また別の路地に折れた。体中の傷が痛む。腕が重い。
だが、今は走るしかない。
上野の言葉が脳裏に思い浮かぶ。
――もう少し、時間が必要なんですよ。
どんな策なのかはまだわからない。それでも、信じるしかなかった。
タイトウの裏通りは、迷路のように入り組んでいた。今夜も、答えは見つからなかった。
だがこの夜を越えれば、また朝が来る。曜はそれだけを考えながら、走り続けた。