3話「オオタシティ」
タイトウシティを発ってから数時間。
多少の疲れはありながらも、トラッシュトライブはオオタシティを目前にしていた。
<西郷ロク>
「ここを抜けた先がオオタシティだ…」
改札を抜け、景色が見えるよりも先に曜を襲ったのは、鼻を突くような、すえた臭いだった。
正体不明の耳障りな金属音と、肌を焼くような熱風。
眩んだ目がようやく光に慣れたとき、そこに映し出されたのは"荒廃"という言葉すら生ぬるく感じるほど、おぞましく汚れきった街の惨状だった。
<彩葉ツキ>
「ケホッ、ケホッ…! なにここ…!」
<小日向小石>
「噂には聞いていたけど、ここまで不衛生だなんて…」
そこかしこにゴミが散らばり、ネズミなどの小動物の死骸も転がっている。
地面は油の浮いた水が覆っており、むき出しのパイプからは黒く汚れた液体が垂れてきている。
すえた臭いからもわかるように、空気は淀んでおり、とても胸いっぱいに空気を吸うような気にはなれなかった。
<三田三太郎>
「これじゃ、地下のほうがまだマシだぜ…」
三田がそう言いたくなる気持ちは曜にもよくわかった。
ここにいるだけで何かしらの病気になってしまうのではないか。
大げさではなく、現実的な問題としてそう感じていた。
<黒中曜>
「オオタシティって、前からこんななのか…?」
<西郷ロク>
「オレ達がいた時よりも荒れているような気はするが、大きくは変わらん。
これがオオタシティだ」
<雪谷えのき>
「そーそー、ようこそオオタへって感じ!」
荒れている街だとは聞いていたが、想像以上の場所に来てしまった。
オオタシティの汚染された空気を吸いながら、曜はそう強く感じた。
そんな中、一部のメンバーが周囲に強い警戒を示していた。
<滝野川ジオウ>
「…全員、あまり離れないほうがいい」
<千住百一太郎>
「まあ、もともとそのつもりはねぇけど…どうした?」
<Q>
「改札を抜けた時から視線を感じる。あまりよくない視線だ」
<青山カズキ>
「強盗の類かな…。
今は集団だし、Qや西郷くんみたいな見るからに面倒そうな連中もいるから手を出してこないみたいだけど、少しでもバラバラになったら危険だろうね」
そう言われて周囲を見渡してみると、たしかに辺りの物陰や建物の中から誰かがこちらを覗いていた。
<住人A>
「………………」
<住人B>
「………………」
その視線は珍しいものを見るような好奇の目でも、救いを求めているような眼差しでもない。
あきらかにこちらを値踏みしているかのような視線だ。
<轟英二>
「ふん、汚らしい貧民どもめ…
とにかく、今はあいつらから離れて、どこか落ち着いた場所で統治ルールを把握するのが先決じゃないか?」
<黒中曜>
「ああ…迂闊に動いて、何もわからないまま死ぬのは避けたい」
そんな会話をしながら、周囲を見渡していると――
<???>
「その心配はご無用だよ!」
<彩葉ツキ>
「あ、出た!」
物陰から現れたのは、いつものぬいぐるみ姿のゼロだった。
<千羽つる子>
「ひぃ! 本当にいつもどこから見てるんですか…!?」
ただ、ゼロはいつもよりも汚れており、体もところどころがほつれている。
<ゼロ>
「まったく、嫌な街だよねえ。ほんのちょっといるだけで、こんなに汚れちゃうんだから」
<黒中曜>
「ゼロ…!」
<ゼロ>
「やあやあ、ゴミ溜めの街・オオタシティへようこそ! 今不安? 不安だよね?」
<黒中曜>
「無駄話はいい…統治ルールについて教えろ」
<ゼロ>
「仕方ないなー、じゃあよく聞いてね…
オオタシティの統治ルールはぁ…」
もったいぶるように体をくねらせ、くるくると踊る様を見て曜はそこはかとないイラつきを覚える。
手が出そうになるのを必死に我慢しながら、ゼロが紡ぐ次の言葉を待つ。
だが、そのゼロから出た言葉は思いもよらぬものだった。
<ゼロ>
「教えられませーん! 残念!!」
<黒中曜>
「は…?」
<タイガ>
「じゃあ何のために出てきたんだよ、このちんちくりんが!」
<三田三太郎>
「ただ俺達をあおりに来ただけっつーのか!」
それぞれがゼロの無責任な言葉に怒る中、カズキは黙り込んで何かを考えている素振りを見せていた。
そして、何かに感づいたのか、顔を上げてゼロを見る。
<青山カズキ>
「待った…教えられないんだね? "教えない"でも"教えたくない"でもなく」
<ゼロ>
「おっ! さすがカズキくん! 頭の回転が速いねえ」
――"教えない"でも"教えたくない"でもない…?
曜は、カズキの言葉の意味がわからず、首を傾げた。
すると、カズキは自分の頭を何度か軽く叩きながら、話し始めた。
<青山カズキ>
「ゼロは、ネオトーキョーに統治ルールを敷いた"まおう"だ。
誰よりも統治ルールに詳しいはずの彼が、"教えられない"って言うってことは、そもそもここには"統治ルール"そのものが存在しないってことじゃない?」
<小日向小石>
「へ…統治ルールがない…!?」
<ゼロ>
「だい・だい・だいせいかーい!
そうだよ! このシティには、そもそも統治ルールなんて大層なものはありませーん!」
<黒中曜>
「……は? そんなことが…」
これまで訪れたすべてのシティにおいて、統治ルールの存在は絶対だった。
それがないなど"ありえない"――そんな、今のネオトーキョー人の根底にある常識が、脆くも打ち砕かれたのだ。
だが、なぜオオタシティだけが特別扱いを許されているのか。次々と沸き起こる疑問と衝撃が、曜の思考を激しくかき乱した。
<ゼロ>
「まあ、正確に言うと統治ルールを作ろうとしたんだけど、オオタの人達って揃いも揃って、バカでさあ。
ぜんっぜんルール理解できそうにないんだよね」
<雪谷えのき>
「だよねー、オオタってマジでみーんなバカだもんね」
<西郷ロク>
「ああ、それがオオタだ」
<ゼロ>
「いや…そんな胸張ってバカ宣言されるとこっちも困るんだけど…まあいいや。
最初はこっちもいろいろ考えたんだよ? びっくりするくらい単純なゲームにするとか、バカでもわかる教本作ったりさ…。
だけど、ぜーんぶ無意味! オオタの人って、バカな上に文字も読めないんだからさ!」
<黒中曜>
「え、でも、西郷さん達は…」
<西郷ロク>
「オレ達は、オオタのリーダーだった男から教わっていた」
<雪谷えのき>
「よそのシティで盗みにいくときに、必要だしね~!」
<千羽つる子>
「ですが、それもひらがなだけで…教えるのに、だいぶ手こずりましたわ…」
<彩葉ツキ>
「つる子ちゃん、お疲れ様…」
<ゼロ>
「で…ぼくもバカの相手をするのに疲れちゃったし、オオタって、そもそもふつーに生き残るだけで大変じゃん?
だったら、統治ルールなんてなくてもいいかなーって思って、今日まで来たってわけ」
<小日向小石>
「あのー…念のための確認なんだけど、統治ルールがないってことは、ナンバーズもいないってことでいいんだよね…?
後々、会ったりでもしたら大変かなーって思って…」
<ゼロ>
「だーかーらー! 統治ルールないの!
統治ルールがなかったら、ナンバーズもいないし、XGもできないんだからっ!
ちょっと考えれば、これくらいすぐにわかるでしょ!
わかったら、さっさとナンバーズのいるシティに行ってXGやってよー!」
<黒中曜>
「そう言ってもなあ…」
確かにXGの攻略が目的ならば、これ以上オオタシティに留まる必要はない。
しかし、曜達のこの街での目的は、24トライブによる謎の大移動を調査することだ。
ゼロの言葉がどうあれ、何も成さずに立ち去る選択肢などない。
この足で手がかりを掴むまでは、一歩も引くつもりはなかった。
<ゼロ>
「曜くん達も本当に物好きだよね。
ぶっちゃけ、曜くん達がいなければ、ぼくもここには来たくないっていうか…
はあ…今のぼくって、レースゲームで逆走するプレーヤーに正しい道順を案内するナビキャラみたい…」
<黒中曜>
「………………」
曜達がどうやってゼロを撒くべきか、互いに目配せを交わしながら策を練っていた、その時だった――
ガスが噴出するような音と、何かが弾けるような音がどこかから聞こえた。
そして、それと同時に――
ゼロが突然爆発した。
<轟英二>
「はぁ!? な、なんだぁ!?」
<???>
「危険ですよー、伏せてくださーい」
聞き覚えの無い、少しくぐもった声が曜達の頭上から響いた。
声のした方を向くと、建物の屋上に緑のミリタリーパーカーを着た人影が見えた。
逆光で顔や表情は窺えないが、その手には長い筒状の何かが見て取れる。
<千住百一太郎>
「ちょっと待て! アイツが持ってるアレ、バズーカじゃねえか!」
<???>
「そういうことです…巻き込まれたくないなら、離れてくださいね」
<雪谷えのき>
「あれー。この声って?」
<西郷ロク>
「ああ、きっと"アイツ"だな…」
えのきと西郷が何かに気付いた様子を見せる。
だが、その声をかき消すかのように二度目の爆発音が響いた。
<ゼロ>
「やってくれるね…。これだから、オオタはイヤなんだよな」
<???>
「おっと、意外としぶといですね。ならば、トドメと行きましょう…!」
二度の砲撃を受けて、まだ機能するゼロに対して、その者は容赦なく引き金を引く。
"ドン、ドン、ドン、ドン!!"
閃光と轟音、立ち上る煙と爆風。
それらが何度も繰り返され、曜達は体を伏せて目を閉じ、耳を塞いだ。
………………
………………
………………
<Q>
「…どうなったんだ?」
数分以上続いた砲撃がようやく止み、爆風が収まると、曜達はゆっくりと目を開いた。
<黒中曜>
「なあ、これって…」
先ほどまでゼロが居た場所には、ぬいぐるみだったと思われる丸焦げの物体が残されていた。
曜は、それがゼロなのかどうか確かめるために恐る恐るつまみ上げる。
<ゼロ>
「………………」
間違いなく、この物体はゼロだろう。
よくよくみれば、あのなんともいえないまつげが見える。
――だが、すでに限界だった。
丸焦げになったぬいぐるみは、ボロボロと崩れ去った。
<十条ミウ>
「嘘…あのゼロを倒すなんて…」
<彩葉ツキ>
「な、なんとなく…少し可哀想に思えちゃうな…」
ブサイクなぬいぐるみの正体があの恐るべきゼロであると承知していても、ぬいぐるみが無残に損壊していく様を目の当たりにすると、どこか胸を締め付けられるような思いがあった。
<???>
「危ないところでしたね。大丈夫ですか?」
声の主はいつの間にか屋上から降りてきていた。
細身のその男は、口元にはガスマスクをつけており、表情を完全に把握することはできない。
だが、その視線からはこちらを心配するような感情が見て取れた。
<ガスマスクの男>
「あのぬいぐるみに近づくとろくな目に遭いませんからね。
今後は見つけても近づかないことをお勧めします」
<小日向小石>
「あ、ありがとうございま――」
<雪谷えのき>
「あー! やっぱり、園田だー!!!」
小石の礼を遮って、えのきが男の前に飛び出した。
その様子はまるで久しぶりに会った主人を迎える飼い犬のようにも見える。
<西郷ロク>
「生きていたのか」
<園田不兆>
「お久しぶりですね。えのきさん、西郷さん。元気でしたか?
さっきのぬいぐるみに変なことされていませんか?」
<雪谷えのき>
「ううん、だいじょぶー。
その前に、園田がぶっ壊しちゃったから、なんともないー」
<園田不兆>
「ふふ、それはよかったです」
どうやら、三人は旧知の仲のようだ。
久々の再会を喜んでいるらしく、えのき達の表情は明るい。
曜は、その様子を微笑ましく見ていた。
――だが。
カズキ、タイガ、三田は違った。
えのき達とは対照的に、男との距離を保ったまま、警戒を解こうとしない。
<三田三太郎>
「なんのつもりだ! 園田不兆!!」
<タイガ>
「てめえ、またカズキを殺しにきたのか!」
<青山カズキ>
「………」
――園田不兆。
曜の記憶が正しければカズキや三田からは"超危険人物"とされている人間だ。
その証拠にカズキは言葉こそ発していないが、その険しい顔つきから、相当強く警戒しているのが見て取れる。